「自分はまだ本気出してないだけで追い込まれたら頑張れるようになる」という考えかたについて思うこと

タイトルが長くなっちゃったのですが、最近ふと感じたことがあったので書きます。

よく成功者の話とかで「あのときこんな出来事があったから今の自分があるんです」みたいなのってあるじゃないですか。

「ものすごく大きな借金を背負ってしまった」「家庭環境に恵まれずいろんなコンプレックスを抱えていた」「恋人に酷い振られ方をした」などなど。

で、こういう話を聞くと、なんか勘違いする人がいるようで、「そうか、自分が頑張れないのはまだ追い込まれてないからなんだな」とか、「自分はまだ本気を出してないだけで、追い込まれたら頑張れるようになるんだ」みたいに考えてしまうみたいです。

というか、僕もそんなふうに思っていたから、こういう話をしているわけなんですけどね^^;

sponsored link

逃げようと思えばどこまでも逃げられる

でも、僕としては、この「追い込まれたら自分は頑張れるようになる」という考え方は、当てにしないほうがいいと思うんですよね。

というのも、人間って逃げようと思えば、どこまでも逃げ続けることができるからです。

さっきの例で言えば、「借金背負ったけど払えないから仕方ないや」とか「自分は家庭環境が悪いから仕方ない」とか「恋人なんてクソ食らえだ」とか。

そんなかんじで、もし仮に追い込まれたとしても「このままじゃヤバい」と危機感をもって真面目に努力できるようになるかは、その人次第の問題なんじゃないでしょうか。

だから、あるとき「これじゃダメだ」と思えるような機会がきて、そのとき自然と行動できるようになるの…なんて考えていては大間違いだと思うんです。

「人生が変わるきっかけ」なんて分かるわけがない

で、こういう話をすると「じゃあ、あの成功者の話はなんだったの?」って思う人もいるかもしれませんが、僕は別に「人生が変わるきっかけ」的なものを否定したいわけじゃありません。

もちろん、適切な機会がやってきて人生が変わったということもあると思います。

でも、それはあとから振り返って「そういえばあのとき~」となるわけで、いまからその機会を予測できるわけがないんですよね。

だから、「自分はまだ人生が変わるきっかけが来てないんだ」というのは、全力を尽くさないことに対する正当な理由にはならないんです。

例えば、安定的に成長している企業についても、いまから振り返ってみて、結果的にそうなっているだけなんですよね。

で、当時はどうだったかというと、「何をどうしたらいいかわからない」という状況の中で、試行錯誤を繰り返し、そのうちのいくつかの試みが偶然上手くいって、なんとか結果を出せただけ…というのが実際のところでしょう。

もちろん、これは「たまたま上手くいった」ということではありません。

偶然的なことでも100回, 200回と繰り返すことで、必然性を高めていくことができます。

成功した企業というのは、そういった泥臭い努力を厭わなかったということです。

学問の世界でも同じです。

なにかしらの分野について教科書で学んでいると、あたかも決まった一つの方向性をもって、その分野が発展してきたような、理路整然とした印象を感じてしまいます。

でも、実際の研究の現場では、決してそんなことはなく、どちらに進めばいいのかわからない暗闇の中、泥臭く仮説と検証を日々繰り返していってるんですよね。

そして、それらの試行錯誤のうち、失敗したものは切り捨てて、成功したものだけを教科書にまとめているから、そういったあたかも”決まった方向性をもって発展してきた”ようなかんじを受けてしまうわけです。

なので、僕らの人生について話を戻すとすれば、成功者が語るような「あのときこんな出来事があったから今の自分があるんだ」的なきっかけを、現在の視点から見つけることは不可能なんですよね。

いまを生きる僕らに見つけられる機会というのは、せいぜい「人生が変わるかもしれないけど、そうじゃないかもしれない」程度ものだけです。

それらのうち、いくつかのものについては、あとから振り返ったとき「人生が変わるきっかけだった」といえるものになるでしょう。

でも、ほとんどのものについては失敗か、あるいは成功とも失敗とも言えないような、どっちつかずのものに繋がっているわけです。

そして、繰り返しになりますが、困ったことにどのチャンスが成功に繋がるのかは絶対にわからないということです。

どんなに頭が良くて経験豊富な人でも”絶対に”見分けることはできないのです。

日常の些細なきっかけに真剣に向き合うこと

じゃあ、それを踏まえて僕らにできることは何だろうか?というと、結局のところ、それらのチャンスに飛びついていくことだけです。

つまりは、ホームランを狙ってバットを振っていくということですね。

思いっきりバットを振って三振すると恥ずかしいし、馬鹿にされるだろうし、落ち込んだりするものですが、でも、とにかくバットを振らないことには得点には繋がりません。

で、そうやって地道に努力していった結果、あるときホームランが生まれて、そして、そのときのことを振り返って、あなたは「あのときこんな出来事があったから~」と語るわけです。

なんだか話の流れとして、成功のチャンスの説明に偏ってしまいましたが、これは「自分を変えるチャンス」「努力する人間として生まれ変わるきっかけ」といったことについても同じことが言えます。

「借金を背負った」とか「家庭環境に恵まれなかった」とか「恋人に振られた」とか、そういった出来事は、程度の大小はあれど、生きている限り頻繁に起きることですよね。

そして、それらに対して「自分を変えるきっかけかもしれない」と前向きに利用することもできれば、「仕方がないことだ」とチャンスを見送ることもできるわけです。

で、前向きに利用することを根気よく続けた人は、それらのきっかけのうち一つが上手くハマって「あの出来事のおかげで自分は変われたんだ」と説明するでしょうし、チャンスを見送った人は「まだ自分は人生を変えるきっかけに出会っていないだけだから…」と説明するでしょう。

だから、結局のところは、努力できる人間になることについても、日常の些細なきっかけに対して「これは自分を変えるきっかけになるかもしれない」と真剣に向き合っていくしかないんです。

それを怠って「いつか自分を変える出来事が起きるはずだ」なんて態度で過ごしていたところで、いつまで経っても変われるわけがないんですよね。

ちなみに、これが、かの有名なスティーブ・ジョブズさんの話していた”Connecting the dots”の意味なんだろうと僕は思います。

「追い込まれたら頑張れるようになる」は大間違い

というわけで、最後のまとめに入りたいのですが、「自分はまだ本気出してないだけで適切なきっかけさえあれば自分は変われる」とか「あるとき勝手にスイッチが入って頑張れるようになる」ということは絶対にあり得ません

それは、シンデレラストーリーを期待するようなものです。

僕らにとってシンデレラストーリーが魅力的なのは、それが現実にはほとんどあり得ないことだから…ですよね。

それに強いて言えば、シンデレラでさえも勇気を出して「王子様に会いに行く」という決断を下し実行に移したわけですから。

なので、僕らの成功は変な言い訳をしたりせず、いま目の前のことにどれだけ頑張れるか、すべてはそこに懸かっているわけです。

「きっかけさえあれば頑張れるようになるんだけどな…」なんて投げやりな態度では人生は絶対にうまく行きません。

危機感をもって自分からあの手この手を使って、積極的に引っ張っていかないと、物事が期待したとおりに運ぶことなんてありえないわけです。

もちろん、積極的に頑張っても上手くいく保証はないのですが、少なくともそうしない限りは、流れに身を任せて人生を漂流していることになってしまうので。

…と、まあ、僕みたいな人間が、こんな偉そうなこと言えた義理じゃないのですが「自分自身への戒めとして」というのと、あと何か少しでも参考になる人がいればいいなあって思ったので書かせてもらいました。以上になります。

sponsored link