どうしたら自信はつくのか?

昨日はネット上の誹謗中傷について感じたことを書いたわけですが、やっぱり世の中で生きていくとなると、他人からの毀誉褒貶は避けられません。

僕自身、何をするにしても周りの目が気になってしまうというか、誰かに認めてほしいという気持ちはありますし、批判されたりしないか心配で行動できないということが今でもよくあります。

なので、今回はどうすれば他人からの評価に負けない強いメンタルを手に入れられるのか?ということをちょっと考えてみたいと思います。

 

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自信と他人からの評価は違う

 

で、これは「どうすれば自信がつくのか?」という問題に言い換えることができると思います。

自信については、以前Twitterで「手っ取り早く自信をつけたいなら自分の周りの人から褒めてもらえばいい」「自分に批判的な人を遠ざけて肯定的な人で周りを固めればいい」みたいなことを言っている人を見かけました。

でも、僕としては、この意見には納得できません。

 

他人からの評価に関わりなく、自分のやるべきことを実行する能力を身に着けたいにも関わらず、その能力を他人から評価されることで手に入れられるというのは、なんだか矛盾していますよね。

親から褒められるために勉強をしている子どもがいたとして、その子がテストで良い点を取っても、親から褒められなくなったとしたら、きっと勉強に対するモチベーションは維持できないと思います。

もちろん、中には維持できる人もいるでしょうが、それっていうのは、勉強すること自体に面白さを感じられるようになったからであって、それはまた評価とは違うところにあるものです。

そもそも自信という言葉からして「自らを信じる」というふうに読めるわけで、それを「他人に信じられること」で手に入れようとするのは腑に落ちませんよね。

 

テレビやネットでは「他人から評価される人間」ということでしか自己を確立できない人を見かけたりしますが、そういう人は、一時的な人気はあったとしても、しばらくするとすぐに問題を起こして消えてしまうものです。

なので、やっぱり自信をつけるには、他人とは独立した自分なりの何かをしなければいけないと言えそうです。

 

「努力して成功する」という意見

 

で、次によくある意見としては、「一生懸命努力して成功を積み上げていくことでしか自信はつかない」というものです。

例えば、「仕事を頑張って結果を出して出世する」とか「勉強を頑張って志望校に合格して学歴を身につける」とか。

これはさっきの意見よりは納得できますし、なんだか正しそうな気がしてきます。

しかし、この意見にも問題があると思っていて、それは「何を成功と定義するのか?」という部分なんですよね。

 

例で上げたように、成功というのを「出世」とか「学歴」みたいな、社会的な成功だというのであれば、これもつまるところ最初に否定した「他人からの評価」に過ぎません。

となると、これっていうのは、「自分の努力」という言葉によってカムフラージュしているだけで、本質的には「他人に褒めてもらう」ということと同じ意見だと言えるでしょう。

 

僕は以前、いわゆる「社会的に成功した人」に直接会って話を聞きに行ったこともあるのですが、

「起業して成功して幸せになれると思っていたけれど、仕事の時間を減らして自由な時間を増やした途端、自分が価値のない・役に立たない人間なんじゃないかという気持ちに苛まれるようになった」ということを仰っていました。

この方はその後、カウンセリングなどの心理療法によって、そういった感情から解放されたそうなのですが、そういったことを考えてみても、「社会的な成功」さえあれば自信がつくかというと、そうでもなさそうです。

 

「自分自身に対する活動」という考えかた

 

じゃあ、どうやったら自信はつくのでしょうか?

なにかいい方法があれば、ぜひとも教えてほしいのですが、結局のところ、それは他人や他のものではなく、自分自身に対する何かしらの活動を続けていくしかないんだろうと思います。

具体的には、読書でも、音楽鑑賞でもいいし、ガーデニングとか、プラモデルを組み立てるとか、マラソンに挑戦してもいいですし、筋肉を鍛えるとか、何でもいいでしょう。

 

ただ注意しておきたいのですが、この自分自身に対する活動というのは、「なにかしらのメリットがあるから~」みたいなものではありません。

例えば、「仕事で役立つだろうからこの本を読む」みたいな行為は違うと思うんです。

たしかに、そうやって身につく自信もあるでしょう。

でも、その自信というのは、何かを所有することで生まれた自信であって、どんな状況でも発揮できるような自分自身であることによって生まれる自信とは違うような気がします。

だから、そうではなくて、自分自身の純粋な興味や関心に基づいた、それ自体が目的となるような活動が大切だということですね。

 

そして、もう一つ注意しておくとすると、現実逃避のための活動というのも違います。

現実を忘れたいがためにゲームに熱中するとか、そういう活動では自信はつかないでしょう。

ゲーム自体は悪くないのですが、現実逃避のためのゲームというのは、ゲームを本当にしたくてやっているのとは違いますからね。

 

いまのところの僕の結論

 

そんなわけで、自信をつけるためには「自分自身に対する活動」を頑張るしかないということです。

これは「趣味を持ちましょう」と言っているように聞こえるかもしれませんが、仕事をすることが自分自身の純粋な興味に基づくものであれば、仕事をすることでも自信はつくでしょう。

 

たぶん、多くの人にとって仕事というのは、「好きでやっている部分」と「生活のために仕方なくやっている部分」の混合状態になっていると思います。

なので、少なくとも生活全体では、前者の割合を増やして、後者の割合を減らせるように、なにかしらの趣味を持つということは、自信につながるかもしれませんね。

そうやって何かしらの自分に対する活動を継続することで、自我を強く保つことでしか、自分自身であることの自信というものは身につかないというのが、いまのところの僕の結論になります。

 

自信がない人はどうすればいいのか?

 

とはいえ、困ったことに自信がない、自我が弱まっている人ほど「自分のやりたいことがわからない」という状態に陥りがちなもので、そういう人は一体どうしたらいいんでしょうか?

 

一つ考えられるのは、「自分自身ではないもののために働くことをやめる」ということです。

自我を弱めている原因から遠ざかってしまえば、健康な人なら自然と心も回復して、自分自身の関心がどこにあるかも見えてくるでしょう。

とはいえ、生活のためにはお金も必要ですから、この方法にも流石に限界があります。

 

(ちなみに、「自分自身のために働く」ということについて、「それは仕事とは言えない」という意見もあるでしょうが、僕が思うに、真の意味での「自分のために働く」という行為は、「相手のために働く」ということも両立させるものです。自己というのは、本来、自分だけでなく、自分の周囲の人たちをも含めた中心点のような意味合いがありますし。)

 

なので、僕が言えることは、やりたいことがわからないという状況の中でも、なんとか自分が関心を持てそうなことを選んで、少しずつ毒を抜いていくしかないということです。

お金のためでもなく、ストレス発散というわけでもなく、現実逃避というわけでもなく、なんのメリットもあるわけではないけれど、なんか面白くてやってしまう…。

そういう活動をする時間が誰しも必要なんだと思います。

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