映画「アウトレイジ」シリーズを観た感想

北野武さんの映画「アウトレイジ」を観たので、その感想をつらつらと書いていこうと思います。

 

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残酷だけど美しい世界

 

この映画というのは、簡単に言えば、暴力団の抗争がテーマの作品になっています。

最初は小さな揉め事だったはずが(まあ僕らからすると小さくはないのですが)、上からの周りの腹黒い思惑や仲間をやられた復讐心によって、どんどん大きくなっていき、最終的には登場人物が8割くらいが抗争で亡くなってしまいます。

上司から部下へは、日常的に殴る蹴るの「教育」があるし、自分の利益のために簡単に人を裏切るし、小日向さん演じるマル暴の刑事も、出世のために抗争を煽るようなやつだし…。

実際も同じようなかんじなのかは知りませんが、本当にこの世界って弱肉強食の、救いのない辛く厳しい世界なんだなあと思わされました。

 

ただ、こうやって書くと、この映画って「気分が悪くなる」とか「悲しい気持ちになる」ような映画かと思われるかもしれませんけど、意外なことに、そういうことは全く無くて、むしろ「なんかスッキリする」というかんじなんですよね。

なんか無理のあるたとえかもしれませんが、サバンナに生きるシマウマやライオンたちの日常を写したドキュメンタリーを観たようなかんじです。

進撃の巨人でいうところの「残酷だけど美しい世界」みたいな。

  

お笑い芸人だからこそ…

 

それにしても、北野武さんの映画は全体的に残酷な描写が多い気がします。

僕も、そんなに詳しいわけではないけれど、「バトル・ロワイアル」とかも同じように残酷なかんじの映画じゃないですか。

 

で、思ったのですが、普段、お笑い芸人として活動しているビートたけしだからこそ、こういうかんじの内容になるんじゃないかなあと。

 

ユングの精神分析によると、人間の意識と無意識というのは互いにバランスを取り合う性質を持っているらしく、意識が抑圧したものは無意識の中で消えずに残っていたりするそうです。

 

例えば、生物的な機能で言えば、僕ら人間は、男性か女性か必ず片方の性別を与えられるわけですが、精神的な面で言えば、僕らは本来、両方の性を持っているらしく、

異性と付き合ったり、結婚したりするときには、自分がふだん抑圧しているもう片方の性別の特性を投影した相手を選びやすいと聞きました。

自分にないものを持っている相手、正反対なタイプの人と付き合う…みたいな。

 

きっと創作というのは、無意識のような自分の心の中の深いところにあるものを引っ張ってきて、それを形にして表現するということなんだと思います。

普段お笑い芸人という明るく楽しい世界で活動しているからこそ、映画という別の創作の場では、その裏側である部分が出てくるのかなあ…なんて感じました。

 

「感じよく振る舞う」ということ

 

思えば、お笑い芸人だけじゃなくて、僕らのような一般的な世界に生きる人たちでも、基本的にはみんな普段から「感じよく振る舞う」ということを要求されます。

 

人に優しくするとか、笑顔で応対するとか、返事よく素直に従うとか、相槌を打って話を聞いて、愛想よくするとか。。。

義務教育を受けるときから、そういった訓練が始まるわけですよね。

そして、それは良く言えば「社会性」ということになるのだろうし、悪く言えば「感じの良い人という仮面をつけること」になるのだと思います。

 

自分が感じたことを全部表に出していたら社会ではやっていけないでしょう。

まあ、それができる人もいると思いますが、ごく一部ですよね。

そういう強さを獲得できるように努力するべきなのかもしれませんが、現状でそれができる人は限られています。

意識的、無意識的に関わらず、みんな自分の思うとおりではなく「感じよく振る舞う」ということをやっているわけです。

 

観たあとにスッキリする理由

 

とはいえ、その感じよく振る舞っている自分と、本来の自分は違うわけですから、いろいろ問題が起きてきます。

ストレスが溜まるというのは、まあわかりやすい例だと思いますが、きっと「自分のやりたいことがわからない」とかも、そういう部分に由来しているんじゃないかな?

 

で、この映画というのは、そういう僕らの抑圧された部分というのを僕らの代わりに表現してくれていて、それが映画を観たあとの「なんかスッキリする」という気持ちに繋がったのかなあとか思いました。

ものすごい暴言で怒鳴り合っているシーンとか、すごく楽しめましたし^^;

 

まあ、興味のある人はぜひ観てみるといいんじゃないでしょうか。

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