行動は無意識から湧き出てくるもの

世の中には「行動できなくて悩んでいる」という人は多いと思います。

実際、SNSなどで回ってくる記事を見ていても、「こうやったら行動できるようになります!」とか「こうやったらやる気が出ます!」といったものをよく見かけます。

僕自身、こういった記事をしっかり読んだことがないので、内容までは詳しくわかりません。

ただ、それでもこういったタイトルを見ていると「なんかちょっと勘違いしているんじゃないかな?」と心配になることがあって、それは「行動することを頭で考えてコントロールできる」と思っている節があるんじゃないか?ということなんですよね。

まあ、かくいう僕も、理屈っぽい性格ということもあり、一時期は「どうやったら行動力が身につくんだろう?」と頭で考えてなんとかしようとしていたこともありました。

でも、行動することって、頭で考えてなんとかなるものじゃないと思うんですよね。

むしろ、頭で考えれば考えるほどに、行動できなくなるものなんじゃないでしょうか?

例えば、僕らは「どうやったら腕を動かせるか?」なんて、いちいち頭で考えたりしませんよね。

あれこれ考えなくても、なんとなく思ったとおりに動いてくれるわけで、そこには理由なんてありません。

もちろん「神経から電気信号を受けると、筋肉が収縮して…」みたいな説明をすることはできます。

ただ「『このように腕を動かそう』という意志がなぜ湧いてくるのか?」という点まで含めて考えると、それはもう誰も説明することができないんですよね。

「なんかよくわからないけど、現実としてそうなっている」としか言いようがありません。

なんというか、そこには非論理的でふわふわとした神秘的なものが働いているとしか言えないわけで、もう「なんとなく」以上に説得力のある理由を見つけることはできないのです。

で、僕はこの「なんとなく」という、コントロールの効かないものこそが、行動する上で必要なものだと思うんですね。

もちろん、頭であれこれ考えて行動しやすい環境を整えたり、スケジュールやタスク管理を行って「これをやらなきゃいけないんだよ」と自分に呼びかけることはできます。

ただ、いくら頭で考えて努力したところで、「行動すること」は直接コントロールできません。

意識の領域であれこれ計画したら、あとは無意識の領域に身を任せて何も考えず、ただ行動がやってくるのを待つべきで、つまりは、この意識・無意識のスイッチの切替が重要になってくるんですね。

ちなみに、いま、これを書いていて思ったのですが、文章を書くのもそれと似ています。

文章を書くのが苦手な人は「どうやったら書けるようになるんだろう?」と、あれこれ考えるかもしれませんが、文章っていうのは、頭を使って考えて書くものじゃないと思うんです。

もちろん、「どんな文章を書くか?」を企画したり、書いたものを編集・校正する際には、頭を使ってあれこれ考えるでしょう。

でも、肝心の執筆している最中はといえば、無意識からフワーッと湧き上がってくる言葉を片っ端から捕まえていって、ただひたすら書きつけていくだけなんですよね。

そこを意識の領域で、頭で使ってなんとかしようとしたら、途端になんの言葉も出てこなくなってしまうのです。

「文章が書けない」と悩んでいる人は、ほとんどの場合、この部分で躓いているのだと思います。

だから、文章を書くときは「なんとかしてコントロールしてやろう」という意識を一切オフにして、心を自然体で何も考えない状態にし、言葉が湧き上がってくるのを待たなくてはいけません。

頭で考えて文章を書こうとしてはいけません。

頭を使っていいのは、文章を書いたあとで、編集したり校正したりするときだけです。

というわけで、何がいいたいのかと言うと、「意識の領域で頭を使ってあれこれ考えたところで、決して行動できるようにはならない」ということです。

「人間には2種類のモードがある」と僕は考えているんですね。

ひとつは、意識を使ったモードで、

  • 頭を使ってあれこれ考えること
  • 論理的に筋道を立ててコントロールしていくこと
  • 効率よく物事を動かしていくこと

といったものになります。

次に2つ目が、無意識を使ったモードで、

  • 思いつくまま身体が動くままに任せること
  • コントロールしようせず何かがやってくるのを待つこと
  • 回りくどい非効率的な方法で地道に積み重ねていくこと

といったものになります。

この相反する2つのモードを使い分けることで、人間は様々な活動を行っているわけですが、特に行動することに限って言えば、後者の「無意識を使ったモード」が重要なんですね。

なので、行動することに関しては、「こうやったら行動できるようになります!」とか「こうやったらやる気が出ます!」みたいなノウハウ・テクニックを求めること自体が間違っているんじゃないかと思うわけです。

むしろ、そういったノウハウ・テクニックを用いて、コントロールしようとすればするほど、人は行動できなくなるものなんじゃないでしょうか。

だから、ノウハウやテクニックについては考えず、目的意識や損得勘定すらも持ち込まないこと。

もちろん、行動が終わったあとには、そういった尺度を使ってあれこれ評価すべきでしょうが、行動している最中は、一切そういうものを持ち込んじゃいけません。

そうやって、事実や理屈を使ってなんとかしようとするのではなく、不確かさ、謎、疑問といったふわふわしたものの中に安住していられるような、ある種のくつろぎ力みたいなものが、行動する上で必要になるのだと思います。

まあ、そうやってイチから丁寧に説明したところで、「じゃあ、どうやったらくつろげるんですか?」なんて尋ねる人は、たくさんいるんでしょうね。

だからこそ、ノウハウとかテクニック的な話の需要はなくならないんだと思います。

sponsored link