ノウハウは何の役にも立たないのか?

森博嗣さんの「小説家という職業」という本があって、その冒頭のところに、こんな言葉がありました。

はっきりいって、「こうすれば面白い小説が書ける」「こうすれば美文になる」というノウハウなど、すべて些末である。習字のようにきれいな文字を書ける、あるいは、間違えないで漢字が正しく書ける、というレベルの話でしかない。文章の価値、創作の価値は、そんな細かい部分にあるのではない。極端な話をすれば、たとえば文法でさえ頑なに守る必要はない。

大事なことは、「こうすれば」という具体的なノウハウの数々ではなく、ただ「自分はこれを仕事にする」という「姿勢」である。その一点さえ揺るがなければなんとかなる、と僕は思っている。ようするに、「小説を書いて、それを職業にする」という決意があれば、ノウハウなどほとんど無用なのだ。

ちなみに、分析心理学の創始者であるユングも、著書「自伝I」の中で、これと似たような話をしています。

私はしばしば私の心理療法、あるいは分析の方法をたずねられるが、その問いに明白には答えられない。治療は事例ごとに異なるものである。医者が私に厳密にかくかくの方法に決めていると語るとき、私は彼の治療効果を疑う。患者の抵抗については文献にあまりにも多くのべられているので医者がまるで患者に何事かを認めさせようとしているかのようであるが、実は、治癒は患者の中から自然に芽生えてくるべきものである。心理療法と分析は人間一人一人と同じほど多様である。私は患者をすべてできるだけ個別的に扱う。なぜなら問題の解決はつねに個別的なものであるからである。普遍的な規則は控え目にしか仮定されない。心理学上の真理は可逆的な場合にのみ妥当である。私にとって問題にならないような解決が、たぶん他の誰かにとってはまさに正しい解決かもしれないのである。

そして最後に、ITTのハロルド・ジェニーンさんも「プロフェッショナル・マネジャー」という本の中で、こんなことを言っています。

もちろん、論理や理知や技術や技量は、マーケティングであれセールスであれ会計であれ財務管理であれ、その他何であれビジネスのさまざまな面にたずさわる人びとが、各自の道を切り開いていく助けるることはいうまでもない。それらは、実際への応用が適切とされる時、縦横に駆使されるべき経営の道である。ただ、人びとは経営決定への安易な、組織化されたアプローチを求めて、理論や固定した方式に寄りかかりすぎる傾向がある。組織化されたアプローチは、事業を収拾するのには、おそらく最も重要な手段だろう。しかし、事実の収拾がすんだら、方式は捨てて事実に基づいて行動しなくてはならない。ビジネスにおける決定は、当面の状況または問題をつくりなす事実に対して、その決定をおこなうべき人物がそれまでに学んだすべてを集中的に応用するというかたちで、その人物の内部から出てこなくてはならない。一言で言うなら、会社や事業部や部を、対応処置のチェックリストや、ビジネス・スクールの才知抜群の教授が考案した理論への盲従によって運営することはできないということだ。なぜならビジネスは人生と同様に、どんなチェックリストにも方式にも理論にも完全にはおさめきれない、活力にあふれた流動的なものだからである。

さて、ここまでノウハウを否定する言葉を挙げてきたわけですが、「じゃあ、ノウハウって何のために存在するのだろう?」と僕は考えるわけです。

ノウハウに振り回されてはいけないのは理解できますが、かといって「ノウハウなんて何の役にも立たない」というと、それはまた違う気がするんですよね。

ノウハウの存在そのものに意味がないのであれば、そもそも教科書みたいなものがムダだということになるわけで、そんなことはないだろうというわけです。

で、そうやってあれこれ考えた結果、ノウハウというのは「その正しさ(あるいは間違い)を証明すべき命題」と考えておくのがイチバン良いのかもしれない…という考えに思い至りました。

僕ら人間は、何かを学ぶ上で必ず「たたき台」となるものが必要になります。

というのも、僕らはゼロからイチを生み出すことはできないからです。

無から有を生み出すのは神の業であって、僕らにできるのはイチを10とか100にすることだけなんですよね。

だから、何もないところから「さあ学んでごらん」と言われても、僕らは、何をどうしていいやらよくわかりません。途方に暮れてしまうでしょう。

でも、そんなとき、いわゆるノウハウとして「これが正しいか・間違いか手を動かして考えてみなさい」というような命題が与えられれば、少なくとも何をすべきなのかはハッキリします。

ということで、ノウハウというのは、ひとつの命題として扱うのが、イチバン上手な付き合い方かなって思います。

逆に、イチバンよくないのは、ノウハウを知っただけで満足してしまう人でしょうね。

あと、むやみにあれこれノウハウを仕入れるのもダメでしょう。

それは「壁にぶち当たってしまった」とか「次に何をしたらいいかわからない」といった状態になって初めてやることであって、手を動かさずにノウハウを仕入れたところで、それは問題と解答だけ覚えて勉強した気になっているようなものです。

趣味で満足したいだけならまだしも、それでは現実世界の問題を解決することはできません。

なので、バランスが大切ってことですね。

全く勉強しないのもダメだし、かといって勉強しすぎるのもダメ。

手を動かすことと、勉強することのバランスを取らなくちゃいけません。

ノウハウという言葉には、楽して結果を出せるような魅力的な響きがあるわけですが、現実にそんな都合のいい話があるわけありません。

ゼロとはいいませんが、あったとしても、とても少ないものでしょう。

だから、ノウハウを使って頭だけで何でもスマートに解決しようとするのではなく、経験と直感も仲間に入れてあげて、泥臭く試行錯誤を繰り返していくこと。

そういった努力を僕らは忘れないようにしなくちゃいけません。

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