幸せとは所有することではない

世の中には、「自分は〇〇がないから幸せじゃないんだ」「もし〇〇さえ手に入ったら自分は幸せになれる」と考えている人が一定数いるかと思います。

でも、そういう人たちは、たとえ自分の求めるものを手に入れたとしても、それで幸せになれるかというと、そんなことは絶対にありえません。

なぜなら、自らの幸せを「所有すること」によって測ろうとしているからです。

ここでいう”所有”というのは、お金・時間・人気・能力など、形のあるものだけじゃなく、形のないものも含んでの意味になるのですが、そうやって人より多く優れたものを所有したところで、決して満足することはできないんですよね。

それは、ひとつには上には上がいるからで、どこまで資産・所有物を増やしていったところで、それら”上”にいる人たちと比較すれば「自分は幸せじゃない」ということになってしまいますよね。

それに、より本質的な原因として「所有したものは自分ではない」という問題があります。

こういう人は、自分が所有しているものに守ってもらうことで、安定・安心を手に入れようとしがちですが、それでも所有物は所有物であって自分ではありません。

事故や災害などが起きれば、所有していたものはなくなってしまいます。

そう言うと、「じゃあ、知識や能力だったらなくならないでしょ?」と感じる人もいるかもしれませんが、僕は同じことだと思います。

というのも、知識や能力は、生身の人間の中に存在するものであって、モノと同じように保管できるものじゃないからです。

知識や能力は、僕ら人間と同じように生きていて、常に変化していくものなんですね。

なので、どれだけ所有物を増やしていったところで、それを失う恐怖から自由になることはできません。

むしろ所有すればするほど、それを失う可能性や恐怖や大きくなっていくばかりで、ますます孤独を感じることになってしまいます。

ちなみに、成功することについて「みんなが知らないオイシイ話を知っているから上手くいった」みたいな考え方をする人もいたりしますが、決してそんなことはないはずです。

例えば、現在Youtuberとして成功している人が、みんなより早くYoutubeを知っていたから成功したかというと、それは違うと思うんです。

もちろん、そういった要素も一部にはあるでしょう。

でも、それだけで成功できるのだったら、最初からYoutubeを知って参入したにも関わらず、人気の出ない人や、途中で消えていった人たちについて説明がつきません。

みんなが知らないオイシイ話を知っていて、そこに上手く乗っかって儲けることができたとしても、そういう市場の歪みはすぐに正されてしまうものです。

だから、最初はラクできたとしても、次第に新規参入者が増えてくるわけで、そこで生き残ろうと思ったら、コツコツ努力して実力を磨き上げいていかなくてはいけないのです。

ということで、「みんなの持っていないもの、知識・能力を所有しているから成功する」ではないし、「みんなが知らないことを知っているから成功する」のでもないんです。

そうではなくて、みんなよりも深く自分と向き合うからこそ成功する。

これこそが正しいんじゃないかと僕は思うのです。

じゃあ、その「自分と向き合う」ってどういうことなのか?

それは、感情に振り回されず、心を落ち着けた上で、客観的に自分を観察することだと思います。

例えば、やりたくないことがあって、仕事をサボったのだとしたら、「自分はその仕事から逃げたのだ」と言い訳せずに認めること。

僕らは、つい自分を正当化して「あの仕事はやったところで意味がないものだった」とか、なにかしらそれっぽい理由をつけて誤魔化してしまいます。

これは、「やりたくない」という感情に振り回された結果、「あれは意味のない仕事だった」という理屈が生まれているわけで、客観的に自分を見つめているとは言えません。

客観的であるとは、そういう言い訳のメカニズムを見破った上で、「自分は逃げたんだ」と素直に認めること、決して感情に振り回されないことです。

こういうことの繰り返しが、成功とか幸せを掴む上で、イチバン大切なことなんじゃないかと思います。

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