聖書は面白いし人生の役に立つ

  • 2021年10月16日
  • 2021年10月16日
  • 書籍

僕は、キリスト教どころか宗教とは何の関係もない人間だったわけですが、いろいろ勉強していくうちに聖書に興味を持ち始めて、いまでは聖書の名言をまとめた本を買ってきて、たまにパラパラと読んだりしています。

例えば、こんなかんじのやつですね↓

人生の役に立つ聖書の名言 (講談社文庫) Kindle版, 佐藤優 (著)

いきなり聖書を読み始めるのは辛いので、こういう取っつきやすいものがあるというのは嬉しいところです。

で、読み始める前は「所詮は昔の人の言葉だから…」くらいにしか思っていなかったのですが、いざ読んでみると聖書って役立つ名言が多いんですよね。

ちょっと僕が好きなものを引用してみましょうか。

何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思い煩い、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。 ── 「マタイによる福音書」6章25節

自分以外のもののために生きてはいけないこと、自分という存在の素晴らしさを思い起こさせてくれる言葉です。

僕らが悩んだり苦しんだりする理由というのは、たいていの場合、自分に向き合うことができていないことが原因じゃないかなと思ったりします。

明日のことを思い煩うな。明日のことは、明日自身が思い煩うであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。 ── 「マタイによる福音書」6章34節

僕らは、ついつい将来のことを心配しがちですが、そんなこと考えても意味がないんですよね^^;

今日があってこその明日なわけですから、未来ばかり見て現在をおろそかにするようなことがあってはいけません。

そんなことを考えさせられる言葉です。

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見出すであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 ── 「マタイによる福音書」7章7節

これも面白い名言です。

自分から何かを求めれば、それを助けてくれる人や何かしらのチャンスに意外と出会えたりするものです。

だから、人生が上手くいかない原因は、「与えられないこと」ではなくて「求めること」にあるんじゃないかと思ったりします。

狭い門から入れ。 滅びに至る門は大きく、その道は広い。そして、そこから入っていく者が多い。命に至る門は狭く、その道は細い。そして、それを見出す者が少ない。── 「マタイによる福音書」7章13-14節

これは仕事のコツとして捉えることもできるんじゃないでしょうか。

成果を上げるために取り組むべきことは、たいていの場合、憂鬱で面倒くさくて勇気のいることだったりします。

でも、だからといってそれに取り組まずに、長時間の労働をしても成果は上がりません。

なので、覚悟を決めて、本来やるべき狭い門から入っていくこと。

そうすれば自ずと成果は上がる…なんてことをこの言葉から考えさせられました。

一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。──「ヨハネによる福音書」12章24‐25

これは「カラマーゾフの兄弟」にも出てきますね。

ちなみに、僕が聖書に興味を持ち始めたのは、ドストエフスキーの影響だったりします。

「自分の命を憎むものは…」とありますが、これは命を粗末にすることを説いてるのではなくて、「自我を強めて孤独になってはいけない」という意味なのかなと思います。

自我の持つ狭い認識の世界にとらわれるのではなく、自己としてのより広い世界に目を向けなさい…ということを伝えたいんじゃないでしょうか。

すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。 ── 「マタイによる福音書」11章28-30節

この言葉も好きですね。僕自身、人の心を軽くして休ませてあげられるような人間になりたいし、そういうふうに人から憶えられたいと思っています。

それで、僕が面白いと感じたのは「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」という部分です。

なにか悩んでいる人がいたとして、この言葉は「なんでも好きにやったらいいよ」と言っているわけじゃないんですね。

何の秩序もなく、自分の好き勝手なことをやっていてはいけません。

そうではなくて「最低限のルールさえ守ればあとは気楽に考えたらいいよ」という意味だと思います。

人として守るべきものがあるけれど、それ以上のもの、つまり僕らが勝手に思い込んでる先入観は捨ててしまえばいいんだよ…みたいなことを言いたいのだと僕は解釈しています。

そんなわけで、僕が面白いと感じた部分の紹介は以上になります。

なんかマタイ伝からの引用が多いですね。

きっと最初に紹介した本が、そこから多く切り抜いているせいなのでしょうが、今度もし聖書を読む機会があったらマタイ伝から読んでみようかと思いました。

まあ、とにかくまとめると、聖書の言葉は面白いし、現代を生きる僕たちにも参考になる部分は多いので、こういう本から少し齧ってみるといいんじゃないでしょうか。

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