なぜ退屈を感じつつもダラダラしてしまうのか

10月になりましたね。一年がもうすぐ終わってしまう…。

先週はというと、なんとなく身体がダルくて最低限のことしかできませんでした。

「なにもかもが面倒くさくてずっとダラダラしていたい」なんて思っているけど、その一方で、「ダラダラしているだけなのは流石に退屈だ」とか「やるべきことを終わらせなくちゃ」と考えている自分がいる。。。

そうやって葛藤を抱えているうちに一週間が終わってしまったかんじです。

きっと僕と同じように時間をムダにしてしまった経験のある人は多いんじゃないでしょうか。

それで「なぜ人間は退屈を感じつつもダラダラしてしまうのか」ということを考えてみました。

そして、その結果「僕ら人間が常により心地よい感覚を求めているからだ」という結論にたどり着いたんですね。

あらゆる生き物はストレスに対して何らかの反応を示します。

例えば、お腹が空けば「食べたい」という欲求が生まれるし、喉が渇けば「飲みたい」、疲れたら「休みたい」といったかんじですね。

で、肝心なのが、生き物はそういった欲求が満たされても、また新たな別のストレスを感じてしまうということです。

お腹が満たされれば「ゴロゴロしたい」、喉が潤ったら「もっと違うものが飲みたい」、休んだら「楽しいことがしたい」などなど。

そうやって、

  • ストレスを感じると
  • 欲求が生まれて、
  • それに対して反応し、
  • その反応によって新たなストレスを感じ、
  • それによって新たな欲求が生まれ、
  • それによって新たな反応が生じて…、

というふうに、いつまで経ってもストレスと欲求と反応が連鎖していくんですね。

ちなみに、これはどれだけ恵まれた状況にいても変わりありません。

例えば、布団に寝転がっている状態は幸せですが、ずっと寝続けていられるかというと、そうではありませんよね。

次第に苦痛になってくるでしょう。

つまり「ストレスがないこと」がストレスになってしまうんですね。

環境を変えることでは、この連鎖から逃れられないのです。

何もしないでいると、最初のうちは特にストレスを感じることはありません。

しかし、しばらく時間が経つと、その状態がストレスになって、なにかしたくなってきます。

これが退屈している状態ですね。

ただ、なにかを始めようとしたところで、そこには必ずストレスがつきまといます。

というのも、どんなに楽しいことでも「それをやる」ということは「いまと違う状態に変化する」ことであり、それは「外部から刺激を受けてストレスを感じる」ことに等しいからです。

だから、そうして何もしないことによるストレスと、何かすることによるストレスの両方から逃げようとした結果、退屈を感じつつもダラダラしてしまう状態が出来上がるわけなんですね。

では、そうやって退屈しつつもダラダラした状態に陥ってしまったら、僕らはどうするべきなのでしょうか。

そんなとき、僕らはついつい「何かをする」「何かをしない」といった軸で考えてしまいますが、それではこの問題を解決することはできません。

そうではなく、このストレスと欲求と反応の連鎖を断ち切ることが大事なんだと思います。

だから、何もしないのであれば、なにもせずダラダラすることに真剣になるのです。

「退屈だな」「もっと面白いことはないかな」という欲求を感じても、そこに反応せずに放っておくこと。

あるいは、何かをするのであれば、その目の前のことに真剣に取り組みましょう。

「面倒くさいな」「何もしたくないな」と感じても、その欲求には反応せず、目の前のことだけを考えるのです。

とにかく自分の集中力・忍耐力・持久力を働かせて、ストレスと欲求と反応の連鎖に巻き込まれないように抗い続けていくこと。

そうして、もっと心地よい感覚を求めようとする自分を律することができたとき、僕らは感情から自由になって、本当の幸せな状態・満足した状態にたどり着けるんじゃないかと思いました。

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