始める前から最適解を求めようと考えない

新しいことを習慣として定着させるのって、すごく難しいことですよね。

僕自身、いろんなことを習慣化させようと挑戦しては、途中で継続できず挫折してきました。

で、そんな過去を振り返ってみたとき、イチバンの挫折の原因は「もっといい方法があるんじゃないか?」と考えて手が止まってしまうことじゃないかなと思います。

もっと楽に・時間を掛けずに・より大きな結果を出す方法があるんじゃないか?

そう考えると、自分のいまの努力が無意味なような気がしてくるんですよね^^;

で、気がつけば、肝心の努力はどこかへ行ってしまい、その楽な方法を探してあれこれ考えてばかり、なにも実践しないまま時間が流れていくわけです。

まあ実のところ、その「もっといい方法」とやらは、探せばどこかにあるのは間違いないでしょう。

存在しないわけがありません。

というのも、その「もっといい方法」が存在しないなら、それ以上の生産性の向上は見込めないということになってしまいますが、そんなわけないですよね。

どんなことでも実践を繰り返し、経験を積むことによって、より効率的にできるようになるのが人間というものです。

ただ、それっていうのは、まさに「実践を繰り返し経験を積むこと」によってしか気づけないものなんです。

やる前からあれこれ考えても絶対にわかりません。調べても同じです。

だから、正しい妥協が大切なんですね。

なにかに挑戦するときは、はじめから最適解を出そうとせず、ある程度の精度で妥協したほうが結果的として良くなります。

例えば、新しい方法で20%の改善が見込めたとしても、そのせいで実行時間が7割になったら、単純計算で84%の結果しか出ませんよね。

僕がいいたいのはそういうことです。

ただ、とはいえ「何があっても妥協しなさい」と言うつもりもありません。

というのも、もし仮に成果が2倍になるような方法が見つかったとすれば、その実行時間が7割になっても1.4倍の結果が出ることになりますよね。

なので、ものすごく効果的な方法に出会ったら飛び移ればいいと思います。

でも、そんな2倍も3倍もの改善が見込める方法に出会うことなんて稀です。

たいていは、せいぜい10%・20%くらいの話なので、あれこれ迷うくらいなら、妥協してさっさと実行したほうが結果が出る場合が多いと考えています。

で、こういったことを考えると、情報の集め過ぎが良くないことがわかると思います。

良い方法に出会った後は、それ以上あれこれ調べ続けたところで、その努力に見合うものが得られいないんですね。

まあ、もしかしたら、ものすごく効率のいい方法が見つかるかもしれませんが、その可能性はどんどん少なくなっていくというわけです。

あるレベルを超えた途端、情報の効果は逓減していくんですね。

だから、僕らは情報収集するとき、どこまでやれば納得して実行に移せるか?というラインを予め決めておくべきなんでしょう。

そして、そのラインまで情報収集をしたら、脇目も振らずに実行する。

もちろん、それによっていろんなチャンスを失うリスクが生まれます。

でも、リスク無しに生きることはできませんし、むしろリスクを抱えることでしか優れた結果を得ることはできませんから、これがベストな判断なんだと思います。

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