情報は足りないくらいが丁度いい

僕はどちらかというと慎重に物事を進めるタイプです。

なので、なにか新しいことを始めるときは、一度で結果を出せるように、できるだけたくさんの情報を集めてから、判断を下したり計画を立てるようにしてきました。

ただ、最近思うのは「こういうやり方には限界があるよなあ」ということです。

たしかに「クイズの正解に答える」とか、ものすごく単純なことについては、こういう網羅的なやり方があっているのかもしれません。

でも、僕らが現実世界でぶち当たる問題というのは、もっと複雑で変化の多いカオスなものですから、「集められるだけ情報を集めてから確実に正解を引き当てる」という方式では、絶対上手くいかないんですよね。

その理由をもう少し詳しくあげるとするなら…。

第一に、情報を集めるだけでお金やら時間やらのコストが掛かります。

第二に、情報が増えれば増えるほど、具体的な行動に落とし込むのが大変になります。

第三に、いくら正しい情報のもとに論理的で間違いのない判断を下したとしても、周りの人たちの行動まで正確に読むことはできません。

じゃあ、どうしたらいいのか?という話なのですが、それが「直感を上手く利用する」という方法です。

つまり「こうやったら上手くいくんじゃないか?」という仮説を立てて実行するということですね。

もちろん、感覚だけじゃダメなので、その正しさは論理的な方法で検証されなくちゃいけません。

ただ、そうやって仮説を立てる方法を取ったほうが、網羅的に調べて一度で正解を引き当てようとするよりも成功しやすいんですよね。

例えば、90%の精度で一度で正解を引き当てようとするよりも、60%の精度で3回試したほうが、コスト的にも結果的にも上手くいく…ということを僕は言いたいわけです。

これまで僕は勘違いしていたのですが、判断を下す・意思決定を行うというのは「正しい情報をもとに機械的に結論を導き出す」ということじゃないんですよね。

そうではなくて「想像や思考や経験を適用する」ということなんだと思います。

情報というのは、あくまでもそれを行うための補助的なものでしかないんです。

このことは「学校の数学の勉強」に当てはめるとわかりやすくなるかもしれません。

例えば、数学を「公式に当てはめて答えを導き出すもの」と考えている学生がいたら、その人はきっと数学ができないタイプの学生でしょう。

というのも、それで上手くいくのは計算ドリルまでの話だからです。

本当の入試問題では決して「公式に当てはめれば上手くいく」ような問題は一つも出題されません。

そうではなくて、数学を学ぶ上で大切なのは「こうやったら解けるんじゃないか?」「こういうアプローチなら上手くいくんじゃないか?」と仮説を立てて、あれこれ試していくことなんです。

「そのアプローチがなぜ上手くいくのか?」を説明する際には論理的な思考力が必要になってきますが、決して最初から論理だけで上手くいくわけじゃありません。

あの数学でさえ論理的思考だけじゃダメなんですから「いわんや現実をや」です。

余談が長くなりましたが、とにかく直感を働かせて「こうやったら上手くいくんじゃないか?」という仮説を立てることが大切だというわけです。

じゃあ、その直感ってどうやったら湧いてくるのか?

それは究極的には、試行錯誤を繰り返してたくさん経験を積むしかないと思います。

ただ、絶対にやっちゃいけないことがあると思っていて、それが「情報を集めすぎること」です。

情報を集めすぎると、それらを処理することにばかり注意が向いてしまって、「こうしたら上手く行きそうだなあ…」と想像する余裕がなくなってしまうんですよね。

つまり、情報に溺れてしまうわけです。

なので、なにか新しいことに挑戦していくとき、おそらく最初に下調べすると思いますが、途中で「こうやったら上手くいきそう」という仮説が思いついたら、もうそこで情報集めは止めにしましょう。

それ以上やると情報に溺れて、なにをどうしたらいいのかわからなくなってしまいます。

情報は足りないくらいが丁度いいんだと思います。

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