辛いとき読むと救われる言葉 ─ 遠藤周作さんの「沈黙」を読んで

  • 2021年4月19日
  • 2021年4月19日
  • 書籍

先日、遠藤周作さんの「沈黙」がKindle版で出ていたのを見つけました。

僕が最初に読んだのは文庫本の紙の媒体の方で、それはどこかにいってしまったのですが、これは僕がキリスト教に興味を持つきっかけとなった作品だったし、マーティン・スコセッシ監督の映画版も観たということもあり、読み返したくなってKindle版でも買ってしまいました。

で、パラパラとめくって読んでたのですが、この小説のラストの部分に出てくるセリフは、本当に胸に刺さるというか、いろいろ考えさせられることが多いなって思います。

「わしはパードレを売り申した。踏絵にも足かけ申した」キチジローのあの泣くような声が続いて、「この世にはなあ、弱か者と強か者のござります。強か者はどげん責苦にもめげず、ハライソに参れましょうが、俺のように生れつき弱か者は踏絵ば踏めよと役人の責苦を受ければ……」

(中略)

「強いものも弱いものもないのだ。強いものより弱いものが苦しまなかったと誰が断言できよう」司祭は戸口に向かって早口で言った。

遠藤周作「沈黙」より

この「強いものより弱いものが苦しまなかったと誰が断言できよう」というのは、言葉の意味としては、「目の前の困難からすぐに逃げ出してしまうような心の弱い人も、その困難から逃げずに立ち向かっていく人たちと同様に苦しんでいるんだよ」というかんじになるでしょう。

この作品に出てくる「キチジロー」というのは、いわゆる隠れキリシタンの百姓なのですが、痛い思いをしたくないあまり、簡単に踏み絵をしたり、宣教師を役人へ売ったりしてしまうんですよね。

他のキリシタンたちは、拷問も殉死も恐れないような人たちですから、キリシタン側からは白い目で見られるし、なんなら役人側からも、まともにキリシタンとして扱ってもらえないんですよね。

で、そういうすぐに安易で楽な方へ流れてしまう人間にも、強い人と同じように「なぜ自分は逃げてしまうんだろう」といった負い目・苦しみを抱えているんだよ…というのが、このセリフの意味だと思います。

ただ、僕としては改めてこの部分を読み返してみて、「この言葉は逆の意味でも成り立つんじゃないか」と感じました。

つまりは「強い人だって弱い人と同じように苦しんでいる」ということです。

例えば、いわゆる成功者的な人から「自分は困難にもめげずにがむしゃらに頑張った」みたいな話を聞いたとしましょう。

そんなとき「自分は弱い人間だから同じ努力はできないなあ」なんて考えてしまいがちです。

というか、世間一般の人はどうなのか知りませんが、少なくとも僕はそんなふうに考えてました。

あるいは、「あの人は才能があるから、それだけ辛くてもめげずに頑張れるんだろうな」とか、「なにか苦しまずに済むような上手い方法を知っているんじゃないか?」とか。

でも、実際はそんなことはないんですよね。

そういった”強いとされている人たち”も僕らと同じ人間で、僕らと同じように苦しみながら、なんとか頑張って前進しているわけです。

例えば、宮崎駿さんへの取材の映像をYoutubeかなにかで観たことがあるのですが、繰り返し何度も「めんどくさいなあ…」という言葉が出てくるんですよね。

それまで僕は、ものすごく才能のあって絵が好きな人だから、他の普通の人たちよりは苦しまずに作品を生み出せるんだろうな…といったことを漠然と考えていました。

もちろん、辛いことには辛いのだろうけど、それは僕らの抱える苦しみよりも、もっと小さいものなんじゃないかなって思ってたわけです。

でも、そのドキュメンタリーを観て思ったのが、決してそんなことはなくて、僕らが感じるのと同じように、宮崎駿さんも「面倒くさい」と感じているんじゃないか?ということなんですよね。

…まあ、「苦しい」とか「辛い」というのは個人の感覚の話なので、どちらが大きい・小さいとか、どちらも同じとか、検証のしようのない話なのですが。。

ただ、それでも「宮崎駿さんも僕らと同じ人間で、僕らと同じように苦しみを感じてはいるのだけど、頑張って逃げずに向き合っているんだ」ということが、なんとなく伝わってきたんです。

で、だから何が言いたいのか?というと、「才能がある人も、頭のいい人も、努力家の人も、みんな僕らと同じように苦しんでいる」ということです。

「強い人間だから苦しまない」のではないし、「能力があるから苦しまない」のではないんです。

もちろん「上手い方法を知っているから苦しまずに済む」というわけでもありません。そんな方法なんて存在しないんです。

なので、まさしく「強いものも弱いものもないのだ」ということなんですね。

なんか、辛いことがあったときって「どうして自分ばかりこんな目に…」みたいな傲慢なことを考えてしまいがちですが、決して「自分だけが…」というわけじゃないんですよね。

小説に出てくるキチジローだって、パードレだって、あるいは宮崎駿さんや、遠い話をすればイエス・キリストだって、みんな同じように苦しみを抱えているんです。

「強いものも弱いものもないのだ。強いものより弱いものが苦しまなかったと誰が断言できよう」

この言葉によって僕は間違いなく救われたと感じました。

もちろん、この言葉を知ったからといって、自分の目の前にある問題が解決するわけじゃありませんが、同じ苦しみを抱えている人がいることを知るだけで心がフッと軽くなるのです

…と、まあ、そんなわけで、ここまでの話で興味が湧いた方は、ぜひ「沈黙」を読んでみてはいかがでしょうか。

「名前はよく聞くけど、イマイチどういうものなのかよくわからない…」というキリスト教を僕らの身近なものに感じさせてくれる、そんな素晴らしい作品だと思います。

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