テレビから引退されて久しい島田紳助さんですが、紳助さんが漫才師になるにあたって最初に始めたのは、相方を探すことでもなく、ネタを書くことでもなく、「漫才の教科書づくり」だったそうです。
なぜなら、どれだけ素晴らしい相方を見つけたつもりでも、どれだけ素晴らしいネタを書いたつもりでも、それを評価する基準がなければ、自分のやっていることが正しいことなのか・間違ったことなのか判断ができません。
評価・測定のできないものは改善もできないわけで、この話を聞いたとき、僕はものすごく納得した記憶があります。
で、これっていうのは、どんな技術にも当てはまることだと思うんですよね。
つまり、成功しようと思ったら、まず「教科書を用意することから始めなければいけない」ということです。
それは、もしかしたら本なのかもしれませんし、読書が苦手な人にとっては音源なのかもしれません。
いずれにせよ、自分の努力を評価する基準となるような教科書が必要なのです。
とはいえ、こんな話をしても「本ならもう十分に読んでますよ」みたいに言われるかもしれません。
まあ、たしかにそれくらいの努力なら、できている人は多いのでしょう。
ただ、僕はその本の読み方に問題があると思っていて、具体的に言えば、「自分の気になるところだけ読んで終わり…」とか「一度読んだからもういいや…」みたいな利用法だと意味がないと思うんですね。
もちろん、本の読み方は人それぞれですから、そういう使い方をしてもいいし、なんだったら僕もそういう読み方をすることはあります。
ただ、「教科書として利用する」という視点からだと、そういう読み方では絶対にダメだと思うのです。
では、具体的にどうすればいいのか?というと、
- 一言一句逃さず読んで理解する
- 内容をすべて丸暗記するつもりで復習する
- 書いてあることの通りにすべて実行し、それを生活習慣の一部にする
という努力が必要になってきます。
ここまでやれば、十分「教科書として利用した」と言ってもいいでしょう。
逆に、ここまでやらなければ、いくら学んだつもりになっていたとしても、本当の意味で実行には移せないと思います。
で、こういったことからも分かる通り、読んだ本のすべてを教科書として利用するのは無理があるのですが、ものすごく感動した2,3冊の本については、これくらい時間をかけて勉強すると人生が変わるんじゃないかなと思っています。