「悩みの相談に乗ること」と「知識を伝えること」は違う

仕事柄、僕は日頃から人の相談を聞くことが多いのですが、こういうことを始める前は、「悩みを解決する」というのは、「その人が知らないことを教えてあげること」だとばかり思っていました。

まあ、たしかに一部の悩みというのは、知識が足りないことが原因となって起きるので、そういう場合は、専門知識が要求されます。

でも、たいていの悩みって、どうすればいいか素人が見ても答えは明白で、もっと言えば、本人ですら心の奥では、自分がどうすればいいのかをちゃんと理解していたりするものなんですよね。

 

わかりやすく例を挙げるとすれば、「好きな女の子がいるのですがどうすればいいでしょうか?」みたいなかんじです。

そんなのは、相手に気持ちを伝えるか、伝えたときに受け入れてもらえるよう前向きに努力するしかありませんよね。

たぶん、誰に相談したって最終的な結論は変わらないだろうし、そのことは本人も重々承知しているでしょう。

 

でも、そこで「いや気持ちを伝えるしかないでしょ」みたいに突き放す態度を取るようだったら、やっぱり、サービスを提供する側の僕らが存在する意味がないと思うのです。

なにかしら心配なことがあって、決心がつかないから相談しに来ているわけで、相手の目線に立たずに正論でズバっと切り捨てるようなことをしたって何の解決にも繋がりません。

なので、正論というのは、みんなが想像するほどには役に立たないということですね^^;

 

じゃあ、どうすればいいの?ってことなんですが、結局は、「相手の話を謙虚に聞いていくしかない」と僕は思っています。

そして、それはもちろん「どうせ解決なんてできない」「それなら話を聞く格好だけ取っておけばいいや」みたいな態度を指すのではありません。

そうではなくて、相手と同じ目線に立って、一緒になって真剣に考えるということです。

そしたら、「大丈夫!なんとかなるよ」なんて言葉を気安く言えたりしないと思うんですよね。

 

そういえば、これを書いていて思い出したのですが、遠藤周作が原作の「沈黙」という映画では、「神は我々を救うのではなく、我々と痛みを分かち合ってくれるのだ」と主人公が気づくシーンがあって、

相手の相談に乗るというのは、そういうキリスト教みたいな精神で行われるべきことなんだろうなって、最近になって、ようやくそう思えるようになってきました。

 

…とはいえ、まあ、これはかなり根気のいることだと思います。

だって、「いや、こうすれば良いだけの話でしょ」という答えがすぐにあるわけですからね^^;

でも、そういった言葉はぐっと飲み込んで、本人の目線で話を聞くしかないのです。

 

いままでの自分は、「とにかく相手を変えなきゃ!」ということばかり考えていたのですが、人間なんてそんなに簡単に変われるわけがないし、こちらから相手を操作するようにして変えるものでもありません。

相手は相手だし、自分は自分です。

自分ができることを精一杯やっているのであれば、あとは相手の問題なのであって、その場の相談で相手が変われなかったとしても、別に自分がどうこう気を揉む必要はないんだと思えるようになってきました。

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