本心からの行動と復讐心からの行動

The Last of Usという人気ゲームがあって、たぶん、PS3でイチバン売れたんじゃないかと思うのですが、最近、そのゲームの続編が出たようです。

タイトルは”The Last of Us Part II”で、前作の評判を知った僕としては「ぜひやってみたいな」なんて思っていたのですが、なんか話を聞くところによると、レビューがかなり荒れているそうで、気になったので調べてみました。

 

それで分かったのですが、今作のテーマのひとつは、「復讐」にあるみたいなんですね。

で、前作のパート1の主人公であるジョエルが、物語の序盤のほうで、彼に恨みのある人たちに殺されてしまうみたいなんですよ。

そこで、エリーというジョエルの(血縁上の本当の娘ではないのだけれど)娘が、復讐のための旅に出かける…というのが物語の大まかな流れになるわけです。

 

前作を遊んだ人からすると、主人公の悲惨な最期がショックなようで、それがレビューに影響を与えているようですね。

でも、僕は思うのですが、みんなが望むような大団円を迎えたところで、たぶん記憶には残らないんじゃないでしょうか。

そんな都合の良い結末を用意するよりは、「え?そうなるの?」みたいな終わり方のほうがいいと思うんですよね。

実際、前作の結末も、そういう賛否両論あるようなかんじでした。

だから、今作のPart2も「波紋を投げかける」ということについて言えば、成功していると言えるでしょう。

実際、何年も評価され続けているような作品って、発表された当初は全く理解されなかったことが多いようですし。。

 

まあ、とはいえ「最初に低評価が多いほど後で良い作品になる」みたいに話を単純化させたいわけでもありません。

要するに、「本当の評価というのは、何年か時間を経ないとわからないものだろう」って言いたいわけです。

ただ、「自分が気に入らなかったから」という消費者的な目線で低評価をつけるのは、どうなんだろうなって思ってしまいますよね。

 

 

話を戻すと、あれこれ調べているうちに気になってしまって、Youtubeに上がっているネタバレの動画をたくさん見てしまったのですが^^;

その中で一つ印象に残ったのが、復讐が成功してもエリーが楽しそうじゃなくて、むしろ、モヤモヤして苦しそうにしているシーンです。

「死んだジョエル(前作の主人公)が報われないから…」と復讐のために必死に行動するのですが、それによって気持ちが楽になるのではなくて、むしろ泥沼にハマっていく感じなんですよね。

だから、現実がどうであるかは別として、このゲームは「復讐しても心の傷が癒やされるわけではない」ことをエリーを通して表現したいんだなって思いました。

 

で、そういうのを見ていて感じたのが、「僕らの日常でも同じようなことがよくあるよなあ」ってことです。

このゲームのように「命の奪い合い」とまではいかなくても、「学歴がなくてバカにされたのが悔しいから偉くなって周りを見返してやる」とか、「貧乏で嫌な思いをしたから、お金持ちになってやる」とか考えている人はいるじゃないですか。

これは、ある意味で一種の復讐だと言えそうですよね。

 

そして、そう考えると、こういうのって虚しい努力だよなあって思ってしまうわけですが、これは別に「偉くなっちゃダメ」とか、「お金持ちになっても意味がない」とか言いたいわけではありません。

自分が本心から望んでいて前向きに努力することは素晴らしいことなので。

ただ、自分の心の傷をなにか別のもので補おうとしても、やっぱり補いきれないんですよね。

 

つまり、何が言いたいかというと、「自分の動機が本心によるものなのか・復讐心によるものなのか、その区別をつけられるようにしたいよね」ってことです。

いまから振り返ってみると「自分は復讐心から行動してたなあ」って経験は誰しもあると思うのですが、そういうときって、やってて辛いし、辛いから結果も出ないんですよね。

でも、意識では自分に必要なことだと思い込んでいるから止められないわけで。。。

 

とにかく、そういったことをいろいろ考えさせてくれるいいゲームだと思います。

…なんてことを言いつつ、自分でプレイしてないんですけどね^^;

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