退屈への対処法

情けない話、僕は何かにつけてすぐ退屈してしまうタイプで、「もっと楽しいことがほかにないかなあ…」なんてついつい考えてしまいがちなのですが、そんなとき僕が定期的に読み返すようにしている本がこちらです↓

 

暇と退屈の倫理学 増補新版 , 國分 功一郎 (著)

 

たぶん、ほとんどの人が「自分の人生って退屈だなあ」とか「もっと面白いことが起きたりしないかなあ」みたいなことを考えたことがあると思うのですが、そういう悩みを抱えている人にぜひとも読んでほしい本ですね。

 

で、結論を言ってしまうと、この本では退屈への対処法として、①「楽しむためには訓練が必要だということ」、②「夢中になれるものが見つかるように自ら積極的に待ち構えること」の2つが挙げられています。

 

まず①について説明すると、僕らは「自分を楽しませてくれるもの」を求めてしまいがちですが、本当はそんなものなんて存在しないんですよね。

他人から与えられた楽しみというのは、簡単に手に入った分だけ、すぐに飽きてしまったり、楽しめたとしても少しだったりするわけで、本当に楽しめるようになるためには、自らを鍛えていくしかありません。

じゃあ、なぜ僕らは訓練なしに楽しめるものがあると勘違いしてしまっているのか?

それを、この本では「消費社会」といった視点から説明してくれています。

 

②については、僕なりの解釈で申し訳ないですが「自分を絶えず変化させていくこと」と言い換えられるんじゃないかと思っています。

要は、「自分を変えずに面白いことを見つけよう」という都合のいい態度でいるから退屈してしまうわけで、積極的にあれこれ挑戦して変化を受け入れていけば、夢中になれるものが何か必ず見つかるだろうって話ですね。

それをこの本の中では、ハイデッガーの哲学や、ユクスキュルという生物学者の環世界という概念を用いて説明してくれています。

 

まあ、とはいえ、この結論だけを読んだとしても、たぶん納得できないだろうなって思います^^;

というのも、この本の中にも書いてあるのですが、これは「それに従えば退屈がなんとかなる」というタイプの結論ではなく、「退屈を切り開くための方向性を示す」というものだからです。

 

さっきも言ったとおり、自分を変えることなしに自分を楽しませてくれる都合のいいものなんて存在しません。

あるとすれば、それは消費されるだけのものであって、退屈を根本的に解決してくれるものじゃないんですね。

同様に、この結論に納得できるようになるためには、この本(まあまあ分厚い)をちゃんと最初から最後まで読んで、自分の中にある価値観を変えていかなければいけないのです。

 

だから、退屈という感情は、そう簡単になくせるものではないということですね。

本当の意味での「楽しい」とか「喜び」という感情を味わうためには、やっぱり不断の努力が必要になるわけで、「ラクして楽しみたい」みたいな怠惰な考えが、自分の退屈な人生を生み出す原因になっているんだなあって思いました。

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