「決意」という言葉の軽さ

「決意」とか「覚悟」みたいな言葉って、使うのに便利だし、響きもカッコよくてもてはやされがちですけど、「そんなに信頼しちゃいけない言葉だよな」って最近よく思います^^;

やっぱり、決意するだけで人は変われないと思うんですよね。

それはもちろん僕もそうですし、どんなに偉い人でも同じじゃないかと思うんですよ。

というのも、その場の感情の高ぶりというのは、そう長くは続かないからです。

 

あくまで僕の考えですが、「決意」とか「覚悟」というのは、なにか辛いこと・悲しいことがあったときに、自分を変えようとして行うものだと思います。

でも、どんなに辛いことがあったとしても、しばらく時間が経てば、全部過ぎたことになるんですよね。

なので、「決意」や「覚悟」という言葉を使って感情ありきで自分を動かそうとしている人は、時間の経過とともに自分を変える動機を失っていくわけで、結局はいつもと変わらない生活に戻っていくのです。

 

じゃあ、本当に自分を変えようと思ったら、どうすればいいのかというと、それは生活習慣の変革しかないんじゃないでしょうか。

そして、これは逆に言えば、どれだけ「決意」とか「覚悟」みたいなたいそうな言葉を使ったとしても、生活習慣が変わらなければ、人生は何も変わらないということです。

決意するとか、覚悟するっていうのは、本来、今日・明日くらいまでの行動についてのみ使われるべきで、自分の人生の長期間に渡って使われるべきではありませんし、そんな長期間の出来事が、いっときの感情で決まるわけがありません。

人生というのは、日々の淡々とした積み重ねによってのみ変えられるものだと思います。

 

では、なぜ「決意」やら「覚悟」といった言葉が、これほどまでにありがたがられるのでしょうか?

それは、たとえば世の成功者たちが、自分の人生が変わったきっかけ・理由を説明するのに便利だからじゃないでしょうか。

「~という辛いことがあって、そのときに人生を変えてやろうと決意したんです」みたいな。

そうやって物語として伝えたほうがわかりやすいですからね。

 

ただ、繰り返しになるようですが、決意・覚悟というのは、今日・明日くらいの短いスパンで使われるものでしかありません。

自分の人生を変える特別な力が見えるように見えるかもしれませんが、それは世間によって魔法がかけられているだけで、そんなたいそうな力は存在しません。

僕らは、そういう都合のいい魔法を期待する癖を改めていくべきなんだと思います。

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