NHKの大河ドラマを録画して、ときどき消化していってるのですが、斎藤道三と斎藤義龍が対立して、いよいよ戦が起きそうなところまで話が進んできました。
で、僕が個人的に心に刺さったシーンが、西村まさ彦さん演じる、明智光安(明智光秀のおじ)が自分の所領を安堵してもらうために、新しく代替わりした年下の殿様の機嫌を取るところです。
好きでもない踊りを酒の席の余興として踊ったりするのですが、ふと我に返ったときの辛そうな表情が、すごく痛々しいんですよね。。。
本当に役者さんの演技が上手だなあと感じました。
とはいえ、その努力も虚しく、最終的には「もっと広い土地を与えてやるから」という理由で、別のところに移動するよう言われてしまいます。
当時の人たちにとって、「先祖伝来の土地を守る」というのは、自分の命よりも大事な使命なわけで、これは到底受け入れられる話ではありません。
そういったことからも、主人公の明智光安たちと、新しく殿様になった斎藤義龍との間に溝が生まれるわけですが。。
とはいえ、これは現代の僕らの感覚だとよく理解できません。
土地が必要なのはわかるのですが、より広い土地へ引っ越せるのであれば、別に悪い話ではないですし、むしろ喜ばしいことであるような気がします。
一つの土地に留まり続けることが、彼らにとって、なぜそれほどまで大切なことなのか?
僕にはそれが分からなかったのです。
ただ、実は最近、彼らの気持ちに少し共感できるようになるきっかけがありました。
そのきっかけというのは、以前、こちらの記事でも書いたのですが、Minecraftを始めて遊んだときのことで、
あのゲームって、自分の生活拠点を築くにあたって、山を切り開き、穴の空いたところには土を盛って、土地を平坦にならしていく必要があるんですよね。
で、そうやって、時間をかけて自らの手であれこれ作業していると、やっぱり自分の村に愛着が湧いてくるんですよね。
だからもし、Minecraftで建築の上手な人が、僕に家や村を譲ってくれたとしても、僕は自分で作った村のほうを選ぶと思います。
いまの僕らは、自分が住んでいるところのためになにかするということはめったにありません。近所付き合い的なものも、どんどん希薄になっていってるでしょうし。
でも当時は、農耕社会ですから、自分で畑を耕して、穀物の世話をして、秋になったら収穫をするわけで、そうやって先祖の代からずーっとその土地と人生をともにするわけですから、そんなの愛着がわかないわけがありませんよね。
というわけで、Minecraftというゲームがきっかけで、所領安堵がいかに重要だったのかを少しは理解できるようになった…という話でした。