まずは好きになる努力をしてみること

こちらの記事でも書いたとおり、やっぱりなにかで結果を出せるようになるためには、まずは習慣的な努力によって「楽しむ力」を身につける必要があるのでしょう。

結果を出している人というのは、それが好きで楽しいからこそ、試行錯誤の中でも諦めず、うまくいく方法を見出して、最後までやり遂げられるんだと思うんですね。

ちなみに、この「好きで楽しい」というのは、「ラクをしても構わない」とか「怠慢でも許される」とか、そういうことではないので注意です。むしろ、それとは正反対のものでしょう。

 

で、僕らというのは、この「好きになる努力をする」という過程をすっ飛ばして、「こういうメリットがあるから~」みたいな理由で行動しようとするから、

「どういうわけか行動できない」とか、「無理に自分を追い込んで結果を出したのに嬉しくない」とか、いろいろな問題が起きるんだと思います。

例えば、「お金が儲かったはずなのに想像よりも全く嬉しくない」みたいなのも、行動の動機を「お金」という自分の能力ではないものに置いているから問題があるのでしょう。

これが「稼ぐことそのものが楽しい」という状態なら、話は別なんでしょうけれど。。

 

哲学者のスピノザは、こういう話をよく理解していたみたいで、「愛するということ(フロム著)」という本の中では、こんなことが書かれています。

後者の意味における活動についてもっとも明快に述べたのはスピノザである。彼は感情を、能動的な感情と受動的な感情、「行動」と「情熱」とに分ける。能動的感情を行使するとき、人は自由であり、自分の感情の主人であるが、受動的な感情を行使するときには、人は駆り立てられ、自分では気づいていない動機の僕(しもべ)である。かくしてスピノザは、徳と力とは同じ一つのものであるという結論に達する。羨望、嫉妬、野心、貪欲などは情熱である。それにたいして愛は行動であり、人間的な力の実践であって、自由でなければ実践できず、強制の結果としてはけっして実践されえない。

エーリッヒ・フロム. 愛するということ 新訳版 (Kindleの位置No.369-376). 紀伊國屋書店. Kindle版.

 

スピノザが「情熱」を受動的な感情として扱っているのは、すごく面白いですよね。

一般的なイメージでは、情熱は良いものだとされがちですが、情熱に突き動かされて行動して目標が達成できたとしても、結果的には(自分の内側には)何も残りません。

その一方で、好きになる努力をすれば、その対象を楽しめるようになり、そして、それを楽しめるようになるからこそ、より一層努力したくなるという好循環が生まれるわけです。

この本を最初に読んだとき、スピノザの言っていることが理解できなかったのですが、いま考えてみると、こういう意味なのかなって思ったりします。

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