司馬遼太郎の「花神」という本を読んでいます。
この本について軽く説明すると、幕末の時代を描いた小説で、主人公は日本陸軍の創始者とも言われる大村益次郎(村田蔵六)です。
大村益次郎といえば、明治維新の立役者なんて呼ばれていますが、そもそも彼は、身分の低い村医者の出身であり(当時は医者の身分が低かったそうです)、緒方洪庵のもとで蘭方医学を学んでいました。
なので、この小説の冒頭のところでは、その緒方洪庵の開いた適塾での勉強の様子が出てくるのですが、かなり参考になった部分があったので、ちょっとメモ代わりに引用させてもらいます。
輪講というのが、教える制度の中心になっている。これはどの塾でもそうだが、塾生をその学力によって八学級にわけてしまってあるのが適塾の特徴である。その学級ごとに輪講をする。その輪講は月に六回ある。
輪講とは要するに塾生自身が蘭書の講義をすることで、トップにそれをやる者をくじできめる。首席者という。それが蘭書の一くだりを和訳すると、つぎの順番の者に質問をし、それに答えられなければ「敗者」になって黒点がつく。うまく答えられた者は「勝者」で、白点である。それらの審判をくだす者が、塾頭もしくは塾頭次席の「塾監」である。そのようにして一カ月たつと、一カ月間の点数をしらべ、白点の多い者によい場所の畳をあたえ、わるい者はその逆になる。一般に三カ月つづいて白の勝ち越しをした者には上級の学級に昇格させる。
司馬遼太郎.花神(上)(新潮文庫)(Kindleの位置No.393-400).新潮社.Kindle版.
これはつまり、塾生同士で勉強を教え合い、切磋琢磨させるというわけですが、この教育の仕組みによって、適塾は優秀な卒業生をたくさん輩出し、その名を全国に轟かせたそうです。
やっぱり、知識というのは教わるばかりだと、どうしても受動的になってしまってうまくいきません。
そこで、「学んだことを誰かに教える」という学生が能動的にならざるを得ない仕組みを作ったことが、適塾が成功した一つの要因だったのかなと思いました。