戦争の頃は農家が勝ち組だったらしい

  • 2020年6月4日
  • 2020年6月4日
  • 歴史

おいしいものを食べに行ったとき、僕だけかもしれませんが「お腹いっぱい美味しいものが食べられて幸せだなあ」とか「日本に生まれてよかったなあ」なんて思ったりします。

先日も外食中にそんなことを思っていたわけですが、そのときふと「昔の人はどんなものを食べていたんだろう?」という疑問が浮かんで来たんですよね。

 

で、ネットで調べてみると、日本の場合、例えば平安時代の貴族なんかは、一度の食事で様々なものを食べていたようです。

写真で見る限り、肉類が足りない気もしますが、それなりに栄養バランスの取れた食事を取っていたようで「そんなに悪くなさそう」という印象を受けました。さすが貴族です。

では、庶民の場合は?というと、アワやヒエなどの雑穀に汁物と漬物という、いうまでもなく質素というかんじの食事ですね。

おそらくですが、江戸時代とか近代に入るまでは、どの時代もだいたいこんなかんじだったんじゃないでしょうか。

 

じゃあ、そこまで昔じゃなくとも、例えば、戦争の頃は何を食べていたでしょうか?

素朴な疑問ではありますが、祖母と話す機会があったので、そのときにいろいろ質問してみました。

ちなみに、祖母は1936年生まれで、戦争が終わったのが9歳の頃になります。

なので、思い出せないことも多い中の話であるということだけ注意してください。

 

まず結論から言うと、食事は基本的に毎日、家の畑で作ったサツマイモを食べていたそうです。

お米は配給で少ししかもらえないので、毎回食卓に並ぶわけではなく、もし食べるとしても、そこに他の穀物を入れて雑穀米にするなど、必ず量を増やす工夫をしていました。

だから、お昼ごはんなんかは、サツマイモに漬物だけで済ませたりして、なんとかやりくりしていたみたいです。

それを考えると、平安時代の庶民と変わらないんじゃないかという気がしますね。

 

で、そんな話を聞く中で僕の印象に残ったのは、「小さい頃、自分は農家に生まれたいと思っていた」という祖母の言葉です。

祖母の家は、いわゆるサラリーマン的な家庭だったそうですが、食べるものがない時代では、やはり農家が最強だったらしく、「いつもご飯の食べられる農家の子どもが羨ましかった」と言っていました。

 

例えば、学校のお弁当の時間でも、祖母のような家庭の子どもたちは雑穀米しか食べられないわけですが、農家の子どもたちは白米入のお弁当をもってくるんですね。

で、雑穀米というのは他の穀物が入っている分、白米よりも色が黒く、くすんで見えるわけですが、

当時の感覚としては、そのくすんだ色のお弁当を食べるのが恥ずかしかったそうで、祖母は蓋で隠しながらコソコソ食べていたんだそうです。

 

いまでは農家と言われてもピンと来ませんが、当時は憧れの的だったんですね。やっぱり時代は変わるものです。

生きていると、いろんなイベントが起きますし、それにあわせて僕らの中の当たり前の感覚も変わっていきます。

だから、常識を基準にして物事を判断するのは、やっぱり良くないことだよなあと、祖母の話を通して、そう感じました。

 

あと、戦争が終わってから、もう何十年も経つので、こういった話をできる人も、どんどん少なくなっているんでしょうね。

僕の祖母には、昭和元年生まれの兄がいるのですが、もうそれなりの年なので、早いうちに、そのおじさんの話も聞きに行かないとなあなんて思いました。

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