「人間にとって物語は欠かせない存在である」というふうに言われても、あまりピンと来ないかも知れません。
ただ、神話や昔話といった物語の存在は、昔から人間に大きな影響を与えてきました。
現代は科学の時代ですから、神話や昔話と聞いて「自分はその手の物語とは無関係だ」なんて思う人も中にはいるかもしれません。
でも、現代人だって、自由主義とか民主主義とか、資本主義などといった物語の影響を大きく受けているわけで、決して無関係ではないんですよね。
だから、物語というものを抜きにして人間を語ることはできないのです。
じゃあ、なぜ物語というものが、人間にとってそこまで大切なのでしょうか?
それを一度ここで整理してみたいのですが、結論から言ってしまえば、人間が物語を必要とする理由は、人間が理性を獲得したからだということになるでしょう。
以下で、詳しく説明してみたいと思います。
物語は行動の選択基準を与える
人間は、他のあらゆる動物と比べて、最も本能の影響を受けにくい存在です。
これは「本能の影響を全く受けない」というわけではありませんが、他の動物なら我慢できないことでも、人間は自分の感情ではなく、理性によって判断し行動することができますよね。
例えば、目の前に美味しそうケーキがあったとして、他の動物なら食欲という本能に抗えずに食べてしまうところを、人間の場合は「自分はダイエットをしているから…」とか何かしらの理由によって、自制することができます(できない人も多いでしょうが^^;)
まあ、犬とかなら、飼い主のしつけによって、多少は我慢できるのでしょうが、やはり人間のそれとは比べるまでもありません。
そして、この部分にこそ、人間が物語を必要とする理由があるのだと僕は思っています。
というのも、本能の束縛から離れて自由に判断できるということは、逆に言えば、何かしら判断の基準になるようなものがなければ、いつまで経っても自分がいかに振る舞うべきか定まらないということですよね。
飲食店とかで、おすすめメニューというのが用意されているのは、人間は選択肢がたくさんあると選べなくなってしまうからであって、それと同じことが人間にも起きているわけです。
そんなわけで、人間は本能という行動基準を(完全にではありませんが)失ったために、物語という別の行動基準が必要になったということです。
物語は人間の孤独を癒やしてくれる
理性を獲得した結果として、もう一つ重要なのは、人間が本能の束縛から自由になった結果、いっそう孤独を感じるようになってしまったということです。
人間だけが現在だけではなく過去や未来を知覚できます。
しかし、近くできるとはいえ、明日、何が起きるかなんて誰にも知ることはできませんし、確実なことと言ったら、自分が死ぬことだけであって、それがいつやってくるかはわかりません。
だからこそ、他の動物とは違って、人間には「孤独を克服したい」という特殊な欲求が存在するわけです。
そして、この「孤独を癒やしたい」という欲求の解決に、物語の存在は一役買ってくれるんですね。
例えば、それがキリスト教という物語であれば、神様の存在を信じることで「自分は守られている」と感じることができましたし、天国の存在を信じることで死というものの恐怖を多少和らげることができました。
近代の国家主義であれば、「自分は国のために生きているんだ!」という感覚のおかげで、自分の人生に意味を感じることができたわけです。
まとめ
と、まあ、そんなわけで人間にとって、物語という存在は欠かせないものであるという話でした。
物語があるからこそ、僕らは自分の人生の意味について、それほど悩まなくて済むわけですし、共通の物語が人間の心の底に存在するからこそ、いろんな人間同士の心がつながっていられるわけです。
…とはいえ、自分の心の中には、具体的にはどんな物語が存在するのか?ということを知るのはかなり難しいように思います。
歴史を学ぶことによって、僕らの社会が大まかにどんな物語の上に成り立っているのかを大まかに知ることはできるでしょうが、これが自分個人の話となると、また別のアプローチが必要になるのでしょうね。