気づけばブログを全然更新しないままになっていました。
こういうのは気づいたときに、なんでも少しでもいいから書くことが大事だとよく言われたりしますよね。
そんなわけで最近、自分が関心があることについて、自分のメモ用としてざっと書いておこうと思います。
テーマについて簡単に言うなら、
- 「僕らはなぜ満足ができないのか?」
- 「どうすれば満足することができるのか?」
- 「何が幸せをもたらすのか?」
- 「いまの世の中の仕組みは人を幸せにできないのではないか?」
という話をしていこうと思います。
お金持ちの暮らしが本当にしたいのか?
「お金があったら~」「時間に余裕ができたら~」
こういうことは、誰しも一度は考えたことがあるでしょう。
実際、この先の人生でお金に困ることもなく、一切働かなくてもいいほどの自由な時間があれば、あなたは何をしたいですか?
世界一周旅行にでも行って、美味しい料理をたくさん食べるとか、立派な家・車・時計を買うとか。
まあ、そこまで典型的ではないにしろ、いわゆる「お金持ちの暮らしをしてみたい」というのは誰しも思いつくことだと思います。
ただ、実際に成功した人に話を聞くと、そういう暮らしをしたところで、あまり幸せにはなれなかったそうです。
お金にも時間にも余裕があるなんて羨ましい限りなのですが、
でも実際、もう働く必要なんてないにもかかわらず、毎日真面目に一生懸命働いているお金持ちは、意外と多いような気がします。
それに、確かに「お金持ちの暮らしがしたいのか?」と聞かれると、なんだかモヤッとした気持ちになってきます。
できればやってみたいけど、それは本当に自分が欲しがっているものではないような…。
価値の刷り込み
で、僕が何を言いたいのかというと、
僕らが欲しがっているものというのは、(ほぼすべてのものが)欲しがるように仕向けられたものなのではないか?
ということです。
その一例として、黒真珠というものがあります。
黒真珠というものが市場に流通し始める前は、色も形も鉄砲玉のようで全く人気がなかったそうです。
…ところが、あるとき、とある宝石商が、
- その黒真珠に法外な値段をつけて、
- 高級イメージのあるニューヨーク5番街のある店舗のショーウィンドウに真珠を飾り
- 有名な雑誌に全面広告を出したところ、
たちまち上流階級の人たちが、こぞって買い求めるようになった…という話を聞いたことがあります。
これって要するに、「黒真珠は高級品ですよ」と価値の刷り込みが行われたわけですよね。
「好きなことで生きていく」っていうけれど…。
で、こういう価値の刷り込みというのは、高級品に限らず、僕らの日常の中で数えきれないほどに行われていることだと思うのです。
- 「本当の自分」
- 「自分らしさ」
- 「やりたいことをやる自由な人生」
- 「好きなことで生きていく」
そんな言葉はよく聞きますけど、じゃあそれってなんなのか?
- 「本当の自分」なんていうけれど、自分に本当も嘘もあるのだろうか?
- 「自分らしさ」なんていうけれど、すでに自分である以上、「らしさ」なんて追求する意味はあるのか?
- 「自由な人生」を求めて必死に頑張ったけれど、特にやることがなくて、退屈しています…なんて人がなぜ存在するのか?
- 「好きなことで生きていきたい」というけれど、その一方で、「自分のやりたいことがわかりません」なんて質問をする人がなぜたくさんいるのか?
こうやって考えると、 僕らはそんなものを本当に欲しがっていたのか甚だ疑問です。
経済という言葉の定義が変わってきた
だから、こういう例を見るに、現代の経済活動というのは、「必要なものを消費する」というよりは、
「必要だと思い込まされたものを消費している」といった方が適切な気がします。
経済という言葉の意味を調べてみると、
人間の生活に必要な物を生産・分配・消費する行為についての、一切の社会的関係。転じて、金銭のやりくり。
というふうに書いてあります。
ざっくり言えば、「人間の生活に必要なもの」を分配する仕組みが経済なわけです。
でも、僕らが「自分らしさ」なんてよくわからないものを消費するようになった以上、この定義には違和感を持ってしまいます。
なぜ必要なかったものまで消費し始めたのか?
戦後のような、衣食住に困っていた当時は、まさに生活に必要なものを効率よく分配する必要があったのでしょうが、
現代では、生活に必要な物資に困っている人はほぼいません。
衣食住が満ち足りています。
じゃあ、もうこれ以上、経済を発展させる必要はなくなってしまいました。
…いやいや、それでは困る。
というのも、僕らは資本主義の世界に生きているので、経済が成長して拡大していかないと、あれこれ問題が起きる。
例えば、金融とか。
お金を貸し借りしたり、なにかに投資したりできるのは、今年より来年の方が経済が成長しているという暗黙の了解があるからです。
一切成長することなく、衰退していく限りであれば、誰も投資なんかしません。
年金だって同じですよね。
未来の人に頑張ってもらって、僕らの老後を養ってもらおう!という仕組みなわけなので、未来が今より良くなっていないと、この仕組みは成り立ちません。
でも、生活に必要なものは満ち足りているし、どうしよう…。
じゃあ、必要なものを新しく作るか!
それを売ったら経済も成長するだろ!!
…と、そんなわけで、僕らはモノそのものではなく、「自分らしさ」のような極めて抽象的な情報を消費するようになったのではないかなと思うわけです。
商品ではなく未来を売れ?
じゃあ、その「モノではない極めて抽象的な情報」とは何なのか?ですよね。
それを理解するためのきっかけとして次に考えたいのが、ビジネスでよくされる「商品そのものではなく未来を売れ」という話です。
これは、例えばAppleのCMなんかがわかりやすいです。
Appleといえば、iPhoneとかMacBookとか売ってる会社なわけですが、CMの中では、
- 「CPUが~GHzで…」
- 「メモリが~GBで…」
- 「重さが…kgで」
- 「スピーカーには〇〇という技術が使われていて…」
なんてことをいちいち説明してませんよね。
実際にはこんなかんじです↓
これを見ればわかるのですが、かっこいいお兄さん・お姉さんたちがいて、なんか世界を変えてるらしいぞ…みたいな。
で、その意識高いカッコいいお兄さん・お姉さんたちは、みんなこぞってMacBookを使ってるらしい。
いいなあ、カッコいいなあ、自分もこんなふうになりたい。。
MacBook買おうかな…というかんじですね。
つまり、このCMでAppleというのは、
MacBookという商品を売っているわけじゃなくて、
世界を変える学生たちというカッコいい理想の日常を売っているわけです。
MacBookはその理想を実現させるためのキーアイテムに過ぎません。
他にもいくつか例を挙げるとするなら、
例えば、僕の近所にあるワンカルビという焼肉屋さんでは、お店のコンセプトが「家族に1時間の団らんを」とかだったような気がします。
ライザップであれば、
・ダイエットとトレーニングで痩せること
ではなくて、
・結果にコミットすることによって自信を得る
ということです。
決して、提供するお肉の質とか、ダイエットの手法とかではなく(それも説明するのだけれど)、「家族団らん」とか「自信のある自分」が第一に置かれているわけです。
ライザップは英語学習の事業もやっているそうですけど、「自信を得る」という点で考えれば、ダイエットと同じことですよね。
セールスの主役は商品ではない
僕らっていうのは基本的にモノや商品に興味を持つことはありません。
「職人が手間ひまかけて作りました」なんて話を聞いたところで、「で?それが?」というかんじです。
でも、自分の人生を良くすることには、強い関心を持っています。
だから、人生をよくするきっかけを常に探しているし、そんなきっかけさえあれば喜んでお金を払います。
むしろ、「払わせてくれ!」っていうかんじです。
だから、なにか商品を売ろうと思ったら、心がけるべきことが、理想の未来を提示することなのです。
理想の未来を提示して、徹底的に憧れさせること。
あとは、その未来へたどり着くためのキーアイテムとして商品を紹介すれば、お客さんは買ってくれます。
商品について説明するのは、そのキーアイテムの有効性を証明するためなんですよね。
だから、主役はあくまで理想の未来を提示することで、商品は脇役なのです。
いつまで経っても満足できない症候群
さて、ここまでは商売のセオリー的な話をしてきました。
ただ、それは「売上を伸ばそう!」という目的からではありません。
あくまで僕が考えたいのは、「何が人を幸せにするのか?」というところです。
さっきの話は、それを考える上でのヒントになると思うのです。
つまり、何が言いたいのかというと、
衣食住に満ち足りた僕らが、いつまで経っても満足できず幸せを感じられないのは、商品ではなく未来を売買しているからではないのか?
…という問題提起をしたいのです。
ここまで話した通り、僕らが日常でよく目にするサービス・商品というのは、ほとんどがモノではなく情報を消費していることがわかると思います。
僕らっていうのは商品ではなく理想の未来という極めて形而上の概念を売買しているんですよね。
そして、それ故に満ち足りることができず、幸せになれない原因ではないかと思うのです。
理想の未来は消費しきれない
商品(モノ)というのは使用に限界があります。
ご飯を食べれば満腹になるし、服を何十着も同時には着れないし、住む場所についても立って半畳寝て一畳なんて言いますよね。
でも、理想の未来には限界がありません。
何かで賞をとった特別なシェフの料理だとか、権威ある情報誌で評価されたレストランだとか。
世界的なデザイナーが作った有名ブランドの、非常に限定性の高い服だとか。
この場合は、ブランドっていうほうが適切かもしれませんね。
とにかく、そういうものについては、いわゆる「足るを知る」ことができません。
どこまでいっても上には上があるわけです。
さっきライザップの例を挙げましたね。
それで言うと、ダイエットそのものには限界があります。
当然ですが、人は無限に痩せることはできません。
適正な体重の範囲を超えて、無理に痩せようとしても体を壊すし、痩せ続ければ、いずれは死を迎えることになるからです。
でも、「結果にコミットする」とか「自分に自信を持つ」なんてことには限度というものが存在しません。
世間的にはものすごい成功者だと言われている人でも、本人は自分のことを卑下していたり…なんてのはよく聞く話です。
だから、いわば「自信を持つ」という商品はどれだけ消費しても、消費しきれないというわけですね。
理想の未来は極めて都合のいい商品
よくよく考えてみれば、理想の未来というのは、極めて都合のいい商品のように思えます。
テレビや冷蔵庫や炊飯器なんかは一台買ってしまえば、それ以上は必要ありません。
でも、理想の未来は消費しても消費しきれないので、いくらでも売り続けることができます。
モノを売っていると、いつか限界にぶち当たって、それ以上の拡大が効かなくなってしまいます。
しかし、その一方で、理想の未来を商品にしている限り、経済は回り続けます。
なぜなら、理想の未来を商品にする限り、人は決して満足することがなく、無限に消費し続けるからです。
経済は僕らを幸せにしてくれるのか?
ただ、そうやってまで成長させている経済というものは、果たして、人を幸せにする仕組みだと言えるのでしょうか?
確かに、生きていくのに精一杯で貧しい時代は、資本主義という仕組みが有効だったのだと思います。
各自が自分の利益を追求すれば、それが社会全体のためにつながり、それが結果として、生活に必要なものを効率よく分配する仕組みになっていたわけですよね。
でも、豊かになった現代では、もともと必要のなかったものまで欲しがらせて、僕らを終わりのない消費のゲームに引き込んでいるような気がしてしまうんです。
決して飢えることのない世の中で、不満を抱えている人がたくさんいる原因は、こういうところにあるんじゃないでしょうか。
かなりネガティブな見方ではありますが…。
これから考えようと思うこと
めちゃくちゃ長くなってしまったのですが、僕的には、ここまでが前置きになります。
あくまで関心があるのは、「じゃあ一体どうすれば僕らはどうすれば幸せになれるのか?」ということなので、それをここから考える必要があるわけですが…。
ちょっと力尽きました…。気づけば5000文字。
話が長くなりすぎました^^;
簡単に話すと「理想の未来」を商品化していると言いましたが、その「理想の未来」の良い使い方と悪い使い方の違いってなんだろうか?ということを考えたかったのでした。
また続きは今度書こうと思います。