プロじゃないから…といって遠慮しなくていい



 

みなさんこんにちは。

最近”Naverまとめ”というものを始めました。

 

“Naverまとめ”とはいったい何なのか?ということですが、

NAVERまとめ(ネイバーまとめ)とは、韓国のIT企業ネイバーの子会社、LINE株式会社が運営するCGM型Webキュレーションサービスである。

様々な情報をユーザーが独自に収集して組み合わせ、ひとつのページにまとめてインターネット上に公開。

アクセス数に応じてユーザーが広告収入を得られる独自のシステムを展開している。(wikipediaより)

ということらしいです。

 

要するに自分が知っていることや調べたことについて発信するブログサービスみたいなものですね。

ちなみに既に存在する記事や動画なんかをまとめて新しい記事を作ることを「キュレーション」といいます。

 

Naverまとめはこのキュレーションをメインにしているので、
キュレーションサービスと言われているわけです。

 

ブログと違うところは、

・引用文がメイン(個人色が薄い)
・画像やTweetを入れるなどの編集がしやすい
・Googleの検索結果の上位に表示されやすい(結果、人に見られやすい)

とかが挙げられます(※僕の使ってみた感想)。

 

自分の場合はブログを作るうえでのいい練習になると思って登録してみました。

随時更新していくつもりなので暇なときにでも見てくださいね(^ ^)

 

ところで、最近ではNaverまとめ以外にも、

・ブログだとFC2やアメーバブログ
・動画ならYoutubeやニコニコ動画

といったようにユーザーが自由に作品を投稿できるサービスが増えてきています。

 

「Youtuber」とかは最近よく聞く言葉ですよね。

 

そして現在、こういったサービスで投稿される作品の内容としてメインなのは、

やはり先ほど話した「キュレーション」や「二次創作」になっています。

(二次創作というのは、原作者とは別人の第三者が原作を元に作った作品のことです。)

 

しかしこういうものを見るとネット文化に批判的な人の中には必ず、

「二次創作なんて何も生み出してないじゃないか」

「専門家(プロ)でもない人が作ったコンテンツに価値なんてない」

とかなんとか言ってくる人がいます。

 

まあ、ここまでハッキリと発言する人は少ないかもしれませんが、

程度の差はあるにせよ、こんな考えの人は確かにいます(TVタックルとかでよく論争になってます笑)。

 

僕はこの考え方、ハッキリ言って間違っていると思いますので、

(というか正しかったらこんなふうに情報発信の練習とかしてない^_^;)

今日はその理由について話していこうと思います。

 

価値は作り手が決めるのではなく受け取り手が決めるもの

 

例えばパソコン教室ってものがありますよね?

パソコンの使い方がわからない人たちが、月謝を払って「Word」や「Excel」なんかの使い方を学ぶ、というあれです。

 

パソコンを多少使える人からすれば、

「WordやExcel の使い方なんてわざわざお金を払って勉強しに行くものでもないな…」

って感じですよね^_^;

 

でもそこには実際に、お金を払ってパソコンを学び、満足して帰る人がたくさんいるわけです。

これってどういうことだかわかりますか?

僕は「価値は受け取り手が決めるものだ」ということが言いたいんです。

 

パソコンができる人たちからすれば、

「そんな簡単なことにわざわざ…」

って感じでしょうが、それはその人から見たときの話です。

 

パソコンが苦手な人たちは本を買ってもそこに書いてあること自体、難しかったり、Googleで検索しようにも使い方がわからないのです。

つまり、パソコン教室で人から直接教えてもらうことが一番簡単で分かりやすくて、価値のあることなんですよね。

 

それにパソコン教室では新しい商品を作ってるわけじゃありませんし、

パソコンの使い方を教えている人は専門家でもありませんよね。

 

○○大学情報学科教授がWordの使い方を教えてるなんて聞いたことありません。

たとえそんな偉い人が教えに来たとしても、レベルが違い過ぎてみんな何言ってるかわからないと思います笑

(分かる人が、分からない人の気持ちを知るのは難しい)

 

専門家だってそうして練習してきた

 

当たり前のことですが、専門家だって最初からプロだったわけじゃありません。

例えば科学者・研究者の場合を見てみましょう。

 

彼らが研究成果を論文にして発表することでその分野の専門家・プロであると認められるわけですが、

専門家しか論文を書いちゃいけないのであれば誰も研究者にはなれませんよね。

 

やはり一流の研究者にも”ひよっこ”の時期があって、その時期から(あたかも専門家のように)論文を書いて練習をしてきたわけです。

 

音楽だってそうです。

その人がオリジナルで作った作品も、突き詰めればコード進行やフレーズは既存の作品からの組み合わせですよね。

 

実際、AKB48の楽曲にはカノンのコード進行が使われてるものがありますが、誰もAKBをパクリだなんていいませんよね。

 

つまり、

「プロじゃないから」

とか

「完全にオリジナルじゃないから…」

といって遠慮することはないのです。

 

個性ってなんだ?

 

「オリジナリティが…」とかいう人もいますが、僕は突き詰めれば個性とかオリジナリティなんてものは存在しないと思ってます。

 

これは別にパクリを擁護してるわけじゃありませんよ。

パクリは既存のものを”そのまま”提供して自分の手柄にすることです。

 

でもさっき僕が言ったような意味でとらえれば、全くのオリジナルな、全く個性的なものなんて、誰からも理解されませんよね。

 

その人が作った作品・コンテンツの中に既存の枠組みが多少なりとも存在するから受け取り手は楽しめるわけです。

 

★まとめ★

・価値は受け取り手が決めるもの

・プロだって最初からプロだったわけじゃない

・完全に個性的なものなんて誰からも理解されない

 

ちなみに今回話したようなことは、養老猛司さんのエッセイか何かにも書いてあったと思います(間違ってたらごめんなさい^_^;)。

 

つまり僕の話も完全なオリジナルじゃないわけです笑





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