人生の短さについてどう対処すべきか

今日から9月ですね。

ついこの前、夏が始まったのかと思いきや、もう9月になり次第に暑さも和らいでいくわけですから、時間が過ぎ去るのは早いものです。

で、そんなことを考えると「人生はあっという間だな」なんて切ない気持ちになることが多いです^^;

ちなみに、古代ローマの哲学者セネカは、人生の短さを嘆く人々を批判し、「人生は過ごし方次第でいくらでも長くなるのだ」と言いました。

じゃあ、人生を長くする過ごし方とは、どんなものなのか?

それは、多忙な生活から離れて、閑暇の生活を送ることです。

ここで「閑暇の生活」というと勘違いする人が多いので、念のため確認しておきたいのですが、セネカのいう「閑暇の生活」とは、なにもせずに一日中ボーっと過ごすようなことではありません。

そうではなく、自分と向き合って、自分がやるべきことや、自分のためになることをしている時間のことを閑暇と呼んでいるんですね。

逆に、セネカのいう「多忙な生活」というのは、自分と向き合うのを嫌がって、やるべきことに取り組めていない状態のことを言います。

なので、毎日誰かと一緒に食事をして遊んで楽しく過ごしているつもりでも、それが孤独から逃げるためのものであったり、あるいは一日中バリバリ働いているのだけど、その目的が自分ではなくお金のためであったとすれば、これはまさしく「多忙な生活」と言えるでしょう。

または、ソファーに寝っ転がって、ポテチをバリバリ食べながら、テレビやYoutubeをダラダラと見続けるような生活は、一般的には「暇人の生活」という扱いになっていますが、こちらもセネカ的には「多忙な生活」ということです。

じゃあ、「閑暇の生活が具体的にどういったものを指すのか教えてくれ!」と言われると、それはなかなか難しいことだったりします。

というのも、具体的に「これをやってください!」と指定してしまったら、それは閑暇ではなく多忙な生活になってしまうから。

閑暇の生活とは、「お金のため」とか「みんなに褒められたいから」とか「こうすれば人生がうまくいくから」といった、自分ではない他の何かを動機として動くのではなく、自分自身の意思で、つまり「自分を動機として動く」ということなんです。

そして、それは一般的に言って、面倒くさいことなんですよね。

自分で動くのは面倒くさいから、みんな自分ではない他のものに自分を動かしてもらおうとしてしまうんです。

でも、そうやって外部の力に頼るようになったら、毎日の生活が生きている実感のない空虚なものになってしまって、あっという間に時間が過ぎ去っていってしまうでしょう。

生きるというのは、ほとんどがウンザリとするような行為の繰り返しだと思いますが、その「面倒くさい」とか「苦しい」という部分にこそ、生きる実感みたいなものが存在しているんじゃないでしょうか。

だから、あれこれ理由をつけて逃げようとせず、正面から面倒くさいことにぶつかっていかなくちゃダメだということです。

自分が本当にやるべき面倒くさいことを毎日コツコツ積み上げていくこと。

それがセネカのいう時間を無駄にしない、人生を長くする生き方なのかなと思いました。(37分)

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