「面倒くさい」と「幸せ」はセット商品

NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」という番組で、宮崎駿さんが「面倒くさくないとこで生きてると、面倒くさいのはうらやましいなと思うんです」ということを言っていて、その言葉の意味を最近よく考えます。

たしかに、僕らっていうのは、日々、面倒くさいことに囲まれて生きているわけで、できればそういったことは避けたいものですよね。

でも、そういった面倒事を一切なくしてしまったら、僕らの生活はものすごく空虚で中身のない退屈な毎日になってしまうでしょう。

実際、僕の学生時代の夏休みなんかは、そんなかんじでした^^;

自分は面倒くさがりということもあって、最初のうちはダラダラすることを楽しんでいたのですが、しばらくするとそれも飽きてくるんですよね。

あるいは違う例を挙げると、ここ数年でキャンプが流行っているみたいですが、あれだって面倒くさいことの塊でしょう。

わざわざ山奥に行って、テントを組み立てて、自分で火を起こして…。

これらはすべて自分でやらなくても、家の中で電気・ガス・水道を使えば済んでしまうことですよね。

でも、それが楽しいわけです。

だから、僕らは面倒くさいことを他人やテクノロジーに解決してもらって、そうして余った時間を使い、わざわざ別の面倒くさいことをやって楽しんでいるんですね。

で、そういったことから、僕は「面倒くさい」と「幸せ」というのは切り離せない関係にあるんじゃないか?と思うわけです。

かの有名な哲学者であるアリストテレスは、幸福の定義を「理性に基づく活動である」と言いました。

ちなみに、ここでいう「理性に基づく活動」というのは、ダラダラしながらテレビを見るといったことではなく、さっきのキャンプのように、自分から積極的に動くことで面白さを作り出していくような活動のことを言います。

つまりは、面倒くさいことですね。

だから、彼が言いたいのは、「面倒な気持ちを我慢して、コツコツ継続して積み重ねていくこと自体が、幸せなことなんだよ」ということだと思うんです。

そういったことを踏まえると、勉強が得意な人にありがちなのですが、汗をかかずにスマートに頭で考えるだけで物事を済ませる習慣がついたらダメですね。

やっぱり「自分が生きている」という実感は、目の前の面倒くさいことを、それこそウンザリしながらも少しずつこなしていかないと、手に入らないんじゃないかな…なんて思いました。

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