【The Last of Us Part II】ストーリーを観た感想

  • 2020年7月14日
  • 2020年7月14日
  • 映画

Youtubeのゲーム実況で”The Last of Us Part II”の動画を最後まで見たのですが、やっぱり問題作として物議を醸しているだけあって、いろいろ考えさせられる話になっているなあって思いました。

人気タイトルなんだから、ハリウッド映画のようなハッピーエンドで丸く収めることもできたはずです。

でも、そういう安易な方ではなく、心に重くのしかかってプレイヤーを苦しめるような尖ったストーリーを採用したわけですから、制作会社さんの度胸には感心してしまいます。

なんか、終わった後の辛さでいうと、高畑勲監督の「火垂るの墓」を思い出しました^^;

 

で、僕が感動したシーンというと、やっぱり最後のジョエルとエリーの会話になります。

ゲームを知らない人には何の話なのか分からないと思いますが、あのシーンは親が子を想うときの「無償の愛情」みたいなものが感じられて、すごく泣けました。

 

 

「一生そのことは許せないと思う」というエリーの言葉からも、彼女の辛さがなんとなく伝わってくるんですよね。

確かに、ジョエルは、他の人たちに文句を言われる理由こそあれど、助けた本人であるエリーから罵られる筋合いはないのかもしれません。

ただ、エリーからすれば、何をやるにつけても「それは世界中の人を救えたはずのワクチンよりも価値のあることなのか?」という罪の意識がつきまとうわけです。 

そういえば、パート1の最後では、ファイアフライのリーダーであるマーリーンが「その子は、感染者に襲われるか、あるいは男たちから乱暴されて死ぬかもしれない」「それよりは人類の役に立ったほうがいいじゃないか」といってジョエルを説得しようとするシーンがありましたね。

そういうことを考えれば「こんなことならあのとき死んでおけば良かった」と思ってしまうのも無理はないでしょう。

 

ただ、それでも「人類を救うワクチンとしての人生」ではなく「エリー自身としての人生」を生きてほしいのがジョエルの気持ちなんですよね。

正直、他の人間たちからすれば、たまったものじゃありませんし、「自分勝手すぎるだろ」みたいな意見もあるかもしれません。

でも、ジョエルとしては、そんな批判があることも十分承知で、それでもエリーに生きていてほしいから、「もう一度チャンスをくれたとしても同じことをする」ということなんでしょう。

「優秀じゃなくても、人の役に立てなくても、特別じゃなくても、ただ生きていてくれたらそれでいい」

そんな親としての無償の愛をジョエルの言葉から感じましたし、その気持ちを理解しているからこそ、エリーは「許したいと思っている」と言ったのだと思います。

 

だから、きっと死んだジョエル自身も、エリーたちに復讐なんかしてほしくなかったでしょうね。

復讐という泥沼にハマってしまったせいで、小指と薬指を失い、ジョエルから教わったせっかくのギターが弾けなくなるというのは、すごい演出です。

話の途中で、事あるごとにギターを弾かされるのは、そういうことだったのか、と。

 

 

最後に、このゲームの終わりにですが、決してハッピーエンドとは言えないまでも、エリーが自分の人生を歩もうとしている点では、僕は前向きなエンディングなんじゃないかと思っています。

ジョエルの形見のギターを置いてどこかへ旅立つというのは、きっとエリーの中で過去との区切りがついたということなんでしょう。

すべてを失ってはしまいましたが、「人類を救うワクチンのなり損ない」ではなく、「アビーたちに復讐するため」でもなく、「エリー自身として」の人生がここから始まるのだと思います。

 

 

と、まあ、そんなわけで、主に「自分自身としての人生を生きることの難しさ」みたいな話になってしまいましたが、

他にも、エリーとアビーの対称性であったり、復讐によって人間関係がおかしくなっていく様子とか、いろいろ考えさせられることが多くて、素晴らしい物語だったんじゃないかなって思いました。

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