さっき、ふと「昔話の『浦島太郎』って何が伝えたい話だったんだろう?」と思うことがあって、Googleで検索して出てきたこちらのページ↓を読んでいました。
で、あらためて読んでみると、自分の記憶していたものとは、いくつか違うところがあって面白かったんですよね。
例えば、このシーンとか↓
浦島さんはお金を取り出すと、子どもたちに差し出して言いました。
「それでは、このお金をあげるから、おじさんにカメを売っておくれ」
「うん、それならいいよ」
こうして浦島さんは、子どもたちからカメを受け取ると、
「大丈夫かい? もう、捕まるんじゃないよ」
と、カメをそっと、海の中へ逃がしてやりました。
浦島太郎 <福娘童話集 きょうの日本昔話>
僕の記憶だと「子どもたちを説教した」みたいなかんじだった気がするのですが、こちらではお金で解決したことになっています。
まあ、たしかにそれがイチバン丸く収まる方法ではありそうですけどね^^;
もしかしたら、子ども向けの話にするにあたって、この部分はカットされていたのかもしれません。
あと、こちらもちょっと面白かったです↓
「わたしの家は、どうなったのだろう? みんなはどこかへ、引っ越したのだろうか? ・・・あの、すみません。浦島の家を知りませんか?」
浦島さんが一人の老人に尋ねてみると、老人は少し首をかしげて言いました。
「浦島? ・・・ああ、確か浦島という人なら七百年ほど前に海へ出たきりで、帰らないそうですよ」
「えっ!?」
老人の話しを聞いて、浦島さんはびっくり。
竜宮の三年は、この世の七百年にあたるのでしょうか?
浦島太郎 <福娘童話集 きょうの日本昔話>
700年前に行方不明になった人のことを聞かれて即答できる人がいるって、すごくないですか?
いまの僕らに置き換えてみたら、鎌倉時代の終わり・室町時代の初めくらいの行方不明者について聞かれているようなものですからね。。
それこそ昔話のように語り継がれているレベルじゃないと答えられないでしょう。
最後にこの部分も、ほんの少しだけですが、僕の記憶していたのと違ってました↓
モクモクモク・・・。
すると中から、まっ白のけむりが出てきました。
「おおっ、これは」
けむりの中に、竜宮や美しい乙姫さまの姿がうつりました。
そして楽しかった竜宮での三年が、次から次へとうつし出されます。
「ああ、わたしは、竜宮へ戻ってきたんだ」
浦島さんは、喜びました。
でも玉手箱から出てきたけむりは次第に薄れていき、その場に残ったのは髪の毛もひげもまっ白の、ヨポヨポのおじいさんになった浦島さんだったのです。
浦島太郎 <福娘童話集 きょうの日本昔話>
僕が憶えていたかんじだと、「ああ、わたしは、竜宮へ戻ってきたんだ」の部分がなくて、ただおじいさんになるだけでしたが、こちらでは思い出が蘇るシーンがありますね。
さて、この浦島太郎は、数ある昔話の中でも「何が伝えたかったの?」と感じてしまう話として認識している人が多いと思います。
「せっかくカメを助けたのにお年寄りになって取り残されてしまうなんて不条理じゃないか」みたいな。
僕もそう思っていたうちの一人なのですが、でも、よくよく考えてみたら、たぶん他の昔話があまりにも教訓めいているだけであって、昔話なんてそれが普通だと思うんですよね。
実際、僕らだって「そんな不思議なことがあったんだなあ」くらいでしか話をしてないわけで、別に相手の発言にいちいち「何が伝えたかったの?」とか「どんな教訓があるの?」なんて気にしないじゃないですか。
おそらく、子どもの頃に教わったほとんどの昔話は、子どもの教育に使われるにあたり、大人にとって都合に良いように改変されているだと思うのですが、
それならそれで、「なぜ浦島太郎だけは、よくわからない形のまま幅広く認知されているのか?」が疑問になってきますね。
まあ、いずれにしても不思議な魅力のある話だと思います。