Youtubeには、興味深い動画がたくさんあって、あれこれ見ているうちに、ついつい時間が過ぎ去っていくわけですが、この動画もそのうちの一つに入るでしょう↓
この動画の概要欄によると、これは2005年ごろの番組だそうで、現在、このゴミ山は埋め立てられているそうです。
ちなみに、Wikipediaで調べてみたところ、こんな記述が出てきました。
かつては海岸線に面した一漁村であったが、1954年に焼却されないゴミの投棄場になった。それ以来、マニラ市内(マニラ首都圏)で出たゴミが大量に運び込まれ、その中から廃品回収を行ってわずかな日銭を稼ぐ貧民(スカベンジャー)が住み着き、急速にスラム化した。
1980年代後半頃から、フィリピンの貧困の象徴として扱われるようになった。政府は国のイメージが損なわれることを理由に閉鎖を決断し、住民は公共住宅をあてがわれて強制退去させられたが、一部の住民はパヤタス・ダンプサイト(スモーキー・バレー)をはじめとする別の処分場周辺に移住し、従来通りのスカベンジャーとしての生活を続けている。
Wikipediaより引用
もうこの動画のときから15年ほど経っていますが、この女の子は元気にしているのでしょうか。
いずれにせよ、10歳ほどの女の子が家族のためにゴミを拾って生計を立てざるを得ない状況にいるというのは、いろいろと考えさせられるものがありますね。
それで、こういう動画を見ると「自分はいまの暮らしに感謝しなくちゃなあ」って思うのですが、でも、それって(失礼な表現になってしまいますが)自分より下の人と比較したから出てくる発想だったりするんですよね。
きっと、お金持ちの暮らしを見たら「なんで自分はこんな暮らししなきゃいけないんだ!」なんて、真逆のことを考えていたかもしれません。
動画を見たばかりのいまの僕は、日常への感謝で一杯になっていますが、これまでの経験上、おそらく数日もすれば、そんな気持ちも消えてしまうのではないかと思います。
というのも、数日も経てば、この動画のことも忘れてしまって、日常が当たり前になってしまうからです。
じゃあ、そういうことを考えると、感謝というのは人と比べることでしか生まれないものなんですかね?
それとも習慣的な努力によって、感謝の気持ちを忘れないようにすることはできるのでしょうか?
「習慣的な努力」というのは、例えば、毎日この動画を見て、自分がいかに恵まれているかを確認し続けるとか。
その答えはまだよくわかりませんが、とにかく、そんな疑問が浮かんだということだけ、ここにメモしておきたいと思います。