最近ふと気づいたのですが、「ナスが食べられない」とか「トマトが苦手」だとか「ネギが嫌い」みたいに、なにかしらの野菜が食べられない人って意外と多いですよね。
僕はといえば野菜は好きな方なので、だいたいなんでもパクパク食べてしまうのですが、それを見た人が「ちゃんと健康のことを考えていて偉いね」と僕に言って、その言葉にちょっとビックリしました。
というのも、僕としては、ただおいしいから好きで食べているわけで、健康のことなんて微塵も考えていなかったからです。
まあ、その人も何気なく言っただけで、多分そんな深い意味はないと思うのですが、ただ、苦手な人の中には野菜を「健康のために頑張って食べるもの」と思っている人もいるのかもしれないわけで、なんか妙に感じ入ってしまいました。
それでよくよく思い出してみると、僕も野菜がおいしいと思えるようになったのは、大人になってからくらいな気がするんですよね。
子どもの頃はというと、「嫌いじゃないけど出されたものだから仕方なく食べる」くらいで、決して「おいしいもの」だとは認識していなかったと思います。
じゃあ、なぜ、そこから野菜がおいしいものだと思えるようになったのか?
ハッキリとした理由はよく分かりませんが、一つ思うのは「嫌いにならない程度に毎日食べ続けたから」ということです。
「栄養が偏らないように」と入れてくれた野菜を毎日少しずつ食べ続けたことで、そう意識していたわけではありませんが、僕の中の味覚が野菜のおいしさを感じられるように鍛え上げられたんじゃないかなと。
少なくとも、毎日そうやって食べてなかったら、いまみたいに特に苦手なものもなく、おいしく野菜を食べられてないと思うんです。
で、そういうことを考えると、どんな努力も最終的には、メリットではなく「それ自体が楽しい」という境地にたどり着けるようにしなくちゃいけないんでしょうね。
アリストテレスは、「快楽は目的ではないが、目的を達成する手段として喜んで受け取るべきものだ」的なことを話しています。
これを今回の話に当てはめれば、「野菜を食べるのは健康のためなんだけれど、野菜がおいしいと思えなければ継続して食べ続けられないので、最終的には、健康うんぬんを抜きにして、野菜がおいしいから食べていると思えるくらいになるべきだ」ってことになるのでしょう。僕なりの解釈ですけど^^;
野菜嫌いの人が健康のために我慢して食べるというのは決して続かない努力だと思うので、まずは野菜がおいしいと思えるように、少しずつ自分の感性を変える方向の努力が必要なんだと思います。