結論だけ読んで学んだ気になってはいけない

哲学の本とか、古典的な名著とされるような本を読んだときに多い気がするのですが、内容を相手にわかりやすく伝えようと結論の部分だけザックリと要約して話すと、「当たり前のことを話しているだけじゃないか」とか「簡単な話をあえて難しくしているだけじゃないか」みたいな反応をされるときがあったりします。

例えば、有名なドラッカーとかでも、イノベーションの方法について、「せっかくの成功を見落としてませんか?」とか「同じ失敗を繰り返していませんか?」とか「お客さんの声をちゃんと聞いてますか?」みたいなことを挙げるわけで、

これって、まあ、当たり前といっちゃ当たり前のことで、あまりピンとこない人も多いんじゃないでしょうか。

 

まあ、さすがにこの例は要約しすぎているので、「アタリマエのことじゃん」と感じてしまうのも無理ないかもしれませんが、

ただ、偉い人であるはずの言葉を「当たり前のことじゃん」と感じてしまう現象には、他にもっと本質的な理由があると思っていて、

そして、その理由とは、僕らがいままで聞いたことのない、目新しい結論が出てくることを待ち望んでいるからだと思うんですよ。

 

でも、よくよく考えてみれば、そんな奇をてらうような衝撃的で都合の良い結論なんて出てくるわけがないですよね。

なぜなら、そんな結論が簡単に出てくるくらいなら、そもそも人はそんなに困ったりしないからです。

でも、僕らはそういう都合のいいものがあると期待して、踊らされてしまっているわけで。。

それに、本当に頭のいい人というのは、「よくよく考えれば当たり前なんだけれど意外と見落としがち」なことを教えてくれる人のことを言うと思いますし。

 

じゃあ、そこで「そんな当たり前の結論が出てくるんだったら、なんでそんな難しい本を読まなきゃいけないのか?」という疑問が湧いてくると思うのですが、

その答えをシンプルに言えば「頭のいい人の考え方にふれることで自分の中の価値観を変化させるため」なんですよね。

 

当たり前のようにやれば出るはずの結果が、なぜ出ないかというと、それは当たり前のことをやっていないからであり、

なぜその当たり前のことをやらないかというと、その人にとっては、それが実際には、当たり前のこととして消化されてないのが原因なんです。

 

人生を変えるため、自分を突き動かしてもらえるような何かを僕らは期待するわけですが、自分から変わらなければ、当然そんなものは手に入りません。 

だから、何かを学ぶ際は「そんなの知ってる」とか考えるのではなくて、「ちゃんと実行できているのか?」という視点で判断することが大事なんだと思います。

そして、もし実行できていないのであれば、自分が「すでに知っている」と思っている話でも、自分の考え方を変えてくれる話として、聞く価値は十分にあるということになるのでしょう。

 

同様に、勉強するときでも結論だけざっと読んで、全てを理解した気になっている人が多いのですが、これではいけません。

もちろん、要点を掴むために結論から理解していくという工夫なら、全然構わないし、むしろ推奨されるべきことだと思うのですが、そこで止まってしまうと、実践が伴わない浅い理解で終わってしまうわけです。

なので、学ぶときは「結論を知るため」というより、「自分の価値観を変えるため」という目的を持たなくちゃいけないんだと思います。

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